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2016年2月13日 (土)

覚醒するは我にあり

最近は「覚醒」が流行りのようだ。

「スターウォーズ」も覚醒だし、「エウァンゲリオン」も覚醒だった。「マトリックス」も確かそんな感じだった。

「ロッキー」は生卵を四つ飲んで早朝の街を走った。「巨人の星」の飛雄馬は大リーグボール養成ギブスを着けて通学していた。ヒーローになるには努力と訓練が必要だった。しかし今は違う。「覚醒」することが全てなのだ。そして「覚醒」したヒーローは「訓練」してきた奴よりも強かったりする。

平凡な人生を送っている者が、ある日突然「覚醒」して、ヒーローになる。そんなファンタジーを提供するのもエンタテインメントの役割の一つだ。だからそれはそれで構わないのだが、現実の世界ではそうもいかない。ジョージ・ルーカスだって、ある日突然「覚醒」して「スターウォーズ」を作った訳ではないだろう。

いやまてよ? 実は「覚醒」しただけなのだろうか? だとしたら「どうしたら面白い脚本を書けるんですか?」と聞いてきた人たちに、私が言ってきたことは間違っていたのかもしれない。「沢山本を読め」とか「良い脚本を模写しろ」とか「とにかく書いて人に読ませるんだ」とか言うべきじゃなかったのかもしれない。本当は、あの小さな緑色の老人の様に、こう言うべきだったのか?

「フォースを信じるのじゃ!」 

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