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2015年8月 4日 (火)

「アメリカン・スナイパー」再び

「アメリカン・スナイパー」のブルーレイが出たので、もう一度この映画を見てみた。
最近見た中では、一番気になる映画である。
完成度と言う点では、他のイーストウッド作品には及ばないかもしれない。しかし、彼が今も現役の映画作家であることを証明する映画だ。

劇場で見た後、原作と別のライターが書いた評伝、計二冊を読んだ。読むと映画の見方、そして主人公のとらえ方が少し違ってくる。

原作者が自分で書いている事で一番印象的だったのは、「自分は戦争が好きだ」という言葉だ。「出来ればもう一度軍に戻りたい」とも書いている。
除隊後、彼は民間軍事会社を作り、軍のアドバザー的な事をする。彼の会社の紋章にはこう書かれている「ママが何と言おうとも、暴力は問題を解決する」

「暴力は問題を解決する」これが彼の信じる行動原理だ。
さて、それではイーストウッドはどうなのだろう。彼の最も有名な作品「ダーティー・ハリー」は正しくそういう作品だ。誘拐殺人犯を逮捕しても、証拠の入手方法が違法だからと、犯人はあっさり釈放される。憤りを隠せない主人公は、彼を追い詰めて、射殺する。
「暴力は問題を解決する」という訳だ。

近年、イーストウッド映画は変わったと言われている。
「許されざる者」はアンチ・バイオレンスの映画だそうだ。本当だろうか?
確かに暴力のむなしさを描いているが、最後には主人公の銃が全てを解決する。
「ミリオンダラー・ベイビー」や「グラン・トリノ」はどうだろう?
どちらも最後に主人公が困難な問題に直面する。自分が愛する人間の生死に関わる問題だ。どちらの映画にも神父が出てきて、解決策を授ける。「神に祈りなさい」と……。
しかし、主人公はその教えには従わない。
「ミリオンダラー・ベイビー」では安楽死を実行し、「グラン・トリノ」では自らを射殺させる。どちらも「祈り」に比べれば、暴力的な解決策だ。日本映画だったら、こういうエンディングにはならなかった気がする。

「暴力は問題を解決する」
それは、イーストウッドだけではなくアメリカ全体が信じている価値観なのかもしれない。

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