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2013年11月 2日 (土)

宮崎走り!

宮崎駿監督の引退を受けて何か書こうと思っていたんだが、いろいろと読んだり見たりしているうちに、なんだか時間が過ぎてしまった。
彼の引退に関しては様々な人がいろいろなコメントを出している。
素直に受取る人もいれば、斜に構えて見ている人もいる。いつもそうなのだが、学者や評論家の言う事は、どうもピンと来ない。
「優れたクリエイターは自己分析に長けている」と信じているので、改めて最後の作品と言われている『風立ちぬ』を見た。そして引退記者会見も見直した。するとやはり宮崎さん本人が、実に明確に自己分析をしている事に気づいた。
 
『僕は結局、アニメーターなんですね……』
引退記者会見で彼は何度かその言葉を吐いている。
その言葉の意味するところは何なんだろう?
 
『出発点』というタイトルの本があって、彼が様々な所で書いたものや発言した事が本になっている。
その中に「走りの基本形」という文章があって、こんな事を書いている。
『一秒24コマを4歩で走る、一歩6コマの走りが、リズムがあって、一番無難だと思っている』
以下、一歩を6コマで描くか、一歩4コマで描くか、一歩5コマもしくは7コマのように奇数の走りはどうなるか、様々な考察が書かれている。
アニメーションに詳しくない私にはさっぱり分らないが、彼が生き生きとした「走り」を求めて試行錯誤しているのはよく分る。
この文章は次のように締めくくられている。
『……とにかく素晴らしい走り、生きているということ、生命が躍動している……そんな走りを画面いっぱいに展開できたら、どんなに愉快だろうとしみじみ思う。そして、そんな走りを要求される作品に出会いたいと心から願っている……』
 
もののけ姫はこうして作られた』というメイキングドキュメンタリーの中に、スタッフのアニメーターが描いてきた原画を宮崎さんが修正している場面が何度も出て来る。
印象的だったのは主人公アシタカが森の中を走る場面で、アシタカは木の枝の中に身体ごと突っ込んで行くのだが、上がってきた原画では枝に突っ込む直前、アシタカが目をつぶっている。それは「枝によって目が傷つくのを恐れた」という描写なのだろうが、それを見た宮崎監督は修正をしながらしだいに怒りがこみ上げて来て、スタッフを罵倒し始める。
『こういう所にそいつの人間性が現れるんだ……アニメーターなんて苦労の多い仕事なんだ、普段の鬱屈をこういう仕事を通じて晴らせない奴はろくな仕事をしない……』
そんな事をブツブツと言いながら彼が描き直したアシタカは、両腕で顔面をガードしながらもその腕の間からキッと見開いた目をして、前のめりに枝の中に突っ込んで行った。
 
この『……こうして作られた』シリーズは、その後『崖の上のポニョ』の時にも作られるのだが、その中でも、とにかく彼は画を描き、原画を修正し、再び描き直し、さらに描き足し、ひたすら描いている。
自身が言うように、つくづくアニメーターなのだと思う。
そして自身が描く画とその動きの中に、その映画のテーマもストーリーも内包しているのだ。
 
例えば優れたピアニストが、既成の楽曲だけでは満足出来なくなってしまい、自分の腕に見合った曲を作るようになる。
彼もそんな風にオリジナルアニメーション映画を作り始めたのかもしれない。
ピアニストはやがて自分の指が思うように動かなくなる。
そして作曲を止める。
同じように、自分がもう体力的に長編映画一本分の画を描けなくなったと思った時、引退を決意した。
そんな風に思った。
 
 
余談だが、ネット内で『古今東西宮崎走り』と題された動画を偶然見つけた。
どこかのファンが宮崎アニメに出てきた走りのシーンだけをつないだ動画だ。
そこには宮崎アニメの持つ本質のようなものが見える。
評論家や知識人よりもファンの方が「よく分っているなあ」と、あらためて思った。
 
 

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