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2013年5月23日 (木)

「村上春樹」を読む

村上春樹に関して何かを書くのは勇気がいる。

本来、大衆的と言うよりは読者を選ぶマニアックな作風なのに、何故か日本でもっとも売れる作家になってしまった。そういう人は語るのが難しい。
マニアからは「お前はハルキが分かっていない」と言われ、アンチからは「話題になってるから読んだけど何処が良いわけ?」などと言われそうだ。
 
最初に読んだのは「1973年のピンボール」で大学生の頃だった。
面白かった。アメリカの翻訳小説みたいで、日本文学特有の泥臭さがないのが印象的だった。次にデビュー作の「風の歌を聴け」を読み、映画化されたものも見た。次に読んだのは「中国行きのスロウボート」だったと思う。この頃はこの短編集が一番好きだった。
当時、ヘミングウェイ、チャンドラー、ボネガットなどのアメリカ文学が好きだったので、そのテイストを持った日本の作家の登場を喜んでいた。
 
村上春樹という名前は、ちょっとした物議を起こしていたと思う。
彼よりも少しデビューの早い村上龍という作家がいて、当時、史上最年少で芥川賞を取り、それを自らの手で映画化して話題になっていた。
作家ではないが映画界には角川春樹というスタープロデューサーが登場し、出版と映画と大量のテレビ宣伝という、メディアミックスの先駆けみたいな映画作りを始めた。
文化人的には、この二人はちょっとしたスターだったのだ。
そこへ村上春樹の登場である。
例えていうとスティーブン・ルーカスとかジョージ・スピルバーグとかいう名前の新人映画監督が出てきたみたいな感じか?
「なんだこの名前は」と思った人は結構多く、それをからかったコラムを読んだ記憶がある。
 
しばらくして「羊をめぐる冒険」が登場する。
これはチャンドラーの「ロング・グッドバイ」を意識した小説だと、本人がインタビューで語っていたので、そのつもりで読んだ。「ロング・グッドバイ」は私も好きな小説である。
(余談だが、チャンドラーの映画化ではアルトマンが監督した「ロング・グッドバイ」が一番好きだ)
その次は確か「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」で、これには熱中した。何とも説明しづらい小説だったが、実に面白かった。
その次に来たのが問題の「ノルウェイの森」である。
なぜ「問題」かといえば、この小説を境に村上春樹に対する世の中の評価は大きく変わったからだ。
この小説は大ヒットして、村上春樹は超メジャーな作家になった。
この作品から村上春樹を知りましたという人も多いが、これ以降の作品は好きじゃないという初期作品のファンも多い。その気持ちも分からなくもない。私もこれを読んで失望した方だ。
もちろん面白いし、売れたのも良く分かる。しかし、それまでの彼の小説とはかなり違うタッチだった。一言で言えばちゃんとした小説で、つまり大人の小説だった。
何故失望したかと言えば、一緒に仲良く遊んでいた男友達が、ある時、「俺、彼女出来たから、もう一緒には遊ばないよ」と言って付き合いが悪くなった感じだろうか。
「この路線でいくなら、もう読まなくてもいいな」と私も思った。
すでに学生から社会人になっていたので、小説を読む機会も減っていき、それと重なったせもあって、次第に彼の作品を読まなくなった。
「ダンス・ダンス・ダンス」は読んだが、あまり覚えていない。「ねじ巻き鳥……」は途中で挫折した。合間に出た短編集は買ったが、殆ど読んでいない。「海辺のカフカ」が出たときに、久しぶりにちゃんと読んだが、かつての熱狂は戻って来なかった。
だからといって彼の小説がつまらなくなったとは言わない。彼の作風も変わったが、自分の趣味も変わったという事だ。
 
村上春樹自身はどんどんビッグネームになり、ノーベル賞の噂も出てくる。
様々なメディアが特集を組む。
「村上春樹を読む人は司馬遼太郎を読まない」と書いてあったのは、そんな特集の一つだったと思う。
実際は両方読む人もいるだろうが、その分析はなかなか面白いと思った。
司馬遼太郎の代表作と言えば「龍馬が行く」である。主役は言わずと知れた坂本龍馬で、たしかに村上作品には龍馬のような主人公が出てこない。出てくるとすれば、あくまでも脇役である。
「僕の友達の坂本君は日本を変えようという大義を持った人で、日本中を飛び回っていた。あれだけ仲の悪かった薩摩と長州が手を組む事になったのも、彼のおかげらしい。でも、結局、誰かに殺されてしまって、明治維新を自分の目で見る事は出来なかった。そして、彼よりもたいしたことのない伊藤君や大久保君が新しい政府のお偉いさんになったりしている。全く、世の中ってのはやれやれという感じだ。僕は坂本君とそれほど親しくもなかったが、彼のおかげであの醜いチョンマゲから解放されたと思うと、それだけは彼に感謝したいと思う」
こんな感じだろうか?
彼の小説の主人公は男気はあるのだが、決して熱くはならないし、興奮もしない。そして、世の中に対して穏やかな絶望感を抱いている。
これは現代の日本を生きて行くには、必要な術なのかも知れない。だから彼の小説は売れる。先進諸外国で彼の作品が受け入れられているのをみると、日本だけの現象ではないのかもしれない。
 
さて、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」である。
前作の「1Q84」の一巻を買ったきり読んでいない私としては、これもどうしようかと思ったのだが、一冊で完結しているのですぐ読めるという実に怠惰な理由で、この話題の新作を買った。発売二週目であったが既に6刷となっている。凄い。
で、どうだったかと言うと、買った後三日で読んでしまった。実に面白かった。印象としては初期の三部作と「ノルウェイの森」がミックスされた感じで、どちらのファンも楽しめる。
世間での評価がどうなのかは詳しくは知らない。
コンビニには村上春樹を特集したムックが出ている。一方ネットなどを見ると、わざわざ貶すためにこの本を買ったのかと思えるような、極端な悪評も載っている。彼の作品を冷静に評価するのは、ますます難しくなっているようだ。
個人的には読書好きにはお勧めする。相変わらず文章は読みやすく、素敵だ。普段あまり本を読まない人はやめておいた方がいい。ベストセラーだと期待しすぎると、拍子抜けするかも知れない。特に波瀾万丈なストーリーではない。はらはらしたり、感涙にむせぶなんて事もないだろう。彼の小説はもともとそんな感じだ。だだ、先程も書いたが、現代の日本のとらえどころがない閉塞感や絶望感をうまく捉えているし、その中で生きていく事の術と、小さな勇気を与えてくれる。
なかなか出来る事ではない。
 
最後に彼の映像化作品に関して、少し語りたい。
「風の歌を聴け」は劇場で見た。大森一樹さんが監督で、当時彼は「ヒポクラテスたち」で話題の新鋭映画監督だった。後のイメージとは違い、スローモーションや早回しや合成や長回しや、さまざまなカメラ技法を屈指する人で、デパルマになぞらえて語る評論家もいた。当時の人選としては悪くないと思ったが、映画自体は正直あまり覚えていない。
その後、村上春樹の映像化はぱたりと途絶える。
山川直人監督が「100%の女の子」と「パン屋襲撃」を映像化したが、これはインディーズレベルなのであまり語る人もいない。個人的には結構好きだった。
「トニー滝谷」というのが彼の原作だというのは、映像化されたときに初めて知った。映画は見ていない。
そして「ノルウェイの森」である。
映像化が決定したときは話題になった。しかし見に行かなかった。長い間、映像化を認めなかったこの作品をなぜ今になって許可を出したのか、その辺の事情は知らない。
「多崎つくる」も映像化の話は来ていると思うが、あまり映画で見たいとは思わない。彼の小説の面白さは、彼の文体によるところが大きいと思う。優れた文学は皆そうだ。特に日本の小説は、文章の良さで読んでしまう事が多い。そして、それこそは最も映像化しづらいというか映像化不可能な領域なのだ。
 
 
 

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