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2013年4月 3日 (水)

世界をリセットする

 
「学校っていうのは、子供にとって一つの世界なんです」
 
たとえばイジメに関連した事件などが起きるとテレビのコメンテーターは、そんな事を言う。
確かにその通りだと思う。
家庭と学校の往復が日常のほとんど全てである学生にとって、学校はひとつの社会であり、時には世界の全てに匹敵する。イジメに苦しむ子供が、最後に自殺という手段をとってしまうのは、他に行き場がないと思い込んでしまうからだ。
 
しかし、もちろん、学校は世界の全てではない。
世界のほんの一部でしかないのだが、それを実感するのは、金も力もない学生にとっては難しいことかもしれない。
 
 
などということを考えたのは、「桐島、部活やめるってよ」という映画を見たからだ。
 
この映画は去年公開されて、小さな作品であるが、話題になった。
話題になったのは、一部の若い観客の熱狂的な支持を得たからだ。そして、なんと最後には日本アカデミー賞の作品賞まで取った。
私は劇場では見そこなったので、つい最近DVDで鑑賞することになった。
 
面白かったかと問われれば、「うーん」と言葉を飲んでしまうだろう。
少なくとも熱狂はしなかった。
もちろん、私はすでに50歳を過ぎているし、そもそもこの映画のメインターゲットではない。だから、私の評価がどうであろうと、関係者は気にもしないだろう。
では、私がもっと若い頃にこの映画を見ていたらどうだろう。
熱狂しただろうか? 感動しただろうか?
 
個人的な話になるが、私は4つの小学校に通っている。父の仕事の事などが原因で、転校が多かったのだ。
小学校は6年生まであるが、4つの違う学校に通ったという事は、つまり一つの学校に2年といなかった計算になる。
最初の転校の時には泣いたような記憶がある。しかしその後は、慣れてしまったのか、少し楽しみに感じる部分もあった。
それはつまり「世界をリセット」する楽しみだ。
学校が変わると友人関係が変わる。親しい友人とのつきあいも途切れるが、反面新しい友人との出会いがある。嫌なクラスメイトからは解放される。
子供の頃にこのような環境に慣れてしまったせいか、その後も、「世界はリセットされる」という感覚が身についてしまった気がする。
小学校が終わると、中学の3年間があり、その後は高校の3年間があり、大学の4年間がある。その度に私の小さな世界はリセットされ続けた。
そのリセット期間を乗り越えてつきあいが持続する友人も勿論いるが、大半の人間関係、馴染みの街、馴染みの店などは、新しいものに変わっていった。
 
「我々は、この世界で生きていくしかないのだ……」
というセリフが「桐島……」の中にあった。
劇中で映画サークルが作るゾンビ映画のセリフなのだが、おそらく主人公の心情と、この映画のテーマを象徴しているのだろう。
「そんな事はないんじゃないの」というのが、そのセリフに対する私の感想だった。
 
私がこの映画を見て、それほど心が動かなかったのは、おそらく自分が登場人物のどれにも相当しない気がしたからだ。
私は多分、桐島事件があった翌日に転校してきて、「桐島ってだれ?」と言っている人物なのだ。
実際、転校というのはそう言う物だった。
既に出来上がっている人間関係の中に突然現れて、空気の読めない発言を連発したりするのだ。
 
「桐島……」に限らず、最近の特に若者を主人公にした作品は時代の「閉塞感」を描いた物が多い気がする。
作品は時代の象徴である。
実際にその「閉塞感」を感じ、そこから抜け出したいという思いが犯罪の原因になることもある。
数年前に起きた秋葉原の殺傷事件の時にも、同様の事が語られた。
 
大学卒業後、私は日活という会社で助監督になるのだが、入社した時から「一体いつ辞めるべきか」と考えていた。
会社に入ってしまうと、学生時代のように3年たてば卒業ということはないので、世界をリセットするには自分からリセットボタンを押さなければいけない。
果たして3年が過ぎた頃に「辞めます」と会社に告げた。
結果的には辞めなかった。
「辞めて脚本家になります」と言ったら、「だったら企画をやってみないか」と社長に言われて、企画営業部という部署に移った。
それでも、その変化は意外に大きく、またしても私の世界はリセットされた。
今までつきあいのなかったテレビ局の人たちと知り合うようになった。
その後も、私はプロデューサーになり、管理職になり、その度に少しずつ世界はリセットされたのだが、その後の決定的な「リセット」は会社が倒産したことだった。
倒産後、私はフリーランスになり、脚本家になり、その数年後映画監督になった。
 
時代の閉塞感という物は、私にもよく分かる。
今の日本は良くも悪くも安定した社会だ。明治維新や太平洋戦争の敗戦のように、劇的に社会が変化することは、もうないのかもしれない。
そんな中、その閉塞感に苛立ち、苦しんでいる若者は多い。
いや、若者に限らず、何か変化を求めつつ、現状に甘んじている人はとても沢山いるだろう。
しかし、本当の「世界」をリセットすることは出来ないにしても、「自分の世界」をリセットすることは出来ると私は思う。
問題はリセットボタンを見つけること、そしてそれを自分の手で押すこと。
それには、ちょっとした勇気が必要だ。
 
 
 
 

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