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2012年10月28日 (日)

映画監督の死

映画監督の若松孝二さんが死んだ。

交通事故だったそうだ。まだまだ現役だと思っていたので、驚いた。残念な事である。
面識はなかったが、作品は勿論見ている。学生の頃にも、名画座などで若松孝二特集などを見た。業界に入ってからは若松プロの伝説というか武勇伝というか、様々な噂話を聞かされた。色々な意味で異色な監督であったが、連合赤軍を扱った映画は素晴らしかった。
 
この作品に関しても様々な噂話を聞いた。そもそも若松監督がこの映画を作ろうと決意したきっかけは、その少し前に原田真人監督で作られた原田版映画「あさま山荘事件」だそうだ。
連合赤軍に関する映画は、作りたいと思っている映画人が沢山いた。一番有名なのは長谷川和彦監督で、「太陽を盗んだ男」に続く作品として、かなり長い間その制作の噂があった。すでに脚本は出来ていて、何度も映画化の話が持ち上がっては消えたようだ。クライマックスは当然あさま山荘の攻防戦で、長谷川監督は一時期実際の浅間山荘を買い取って撮影したいと思っていたらしい。しかし映画は作られることなく歳月が過ぎ、このまま永遠に作られないのではないかと思っていた矢先、原田版「あさま山荘事件」が現れたのだ。
 
映画が出来て、映画人の多くは驚いた。あさま山荘事件が映画化されるとしたら、主人公は当然、立てこもって国家権力と戦った連合赤軍だと思っていた。しかし原田監督の映画の主人公は機動隊だった。原作者が当時の指揮官なのだから当然の事なのだが、映画人と呼ばれる人たちの多くは連合赤軍に特別の思いを持っていたので、まさか機動隊が主人公の浅間山荘映画が出来るとは思っていなかったのだ。

これを見て、連合赤軍を主人公にした浅間山荘物を作らなくては死んでも死に切れないと思ったのが若松監督だったそうだ。
若松監督が若いころに作った映画は、当時の「運動」の空気を帯びたものが多かった。連合赤軍から派生した日本赤軍のメンバーとの親交もあった。日本の映画界で連合赤軍を題材にして映画を撮る資格と能力があるのは、彼をおいて他にはいないだろう。
実際、出来上がった作品は素晴らしかった。クライマックスの浅間山荘のシーンは、自分の別荘を壊しながら撮影したそうだ。その熱意が十分に報われた作品の出来ばえだったと思う。
若松監督は、この映画化の後にも次々と独自の作品を生み出した。まだまだ撮ると思っていたのに、本当に残念である。
 
若松監督の死を聞いて、二人の映画監督の死を思った。
テオ・アンゲロプロスとスタンリー・キューブリックである。
 
テオ・アンゲロプロスは「旅芸人の記録」「永遠と一日」「エレニの旅」などを撮ったギリシャの監督で、最後の国際的な巨匠と呼ばれていた。私も彼の作品は大好きで、「エレニの旅」などは三度も見てしまった。
すでに高齢であるが若松監督と同じように、まだまだ新作が見れると思っていた。実際、新作の撮影中であった。その最中に交通事故で死んでしまった。
 
スタンリー・キューブリックは学生時代に一番熱狂した監督だ。「2001年宇宙の旅」「時計じかけのオレンジ」「博士の異常な愛情」「バリー・リンドン」など傑作ばかりだ。
その彼が最後に撮ったのが「アイズ・ワイド・シャット」だ。彼はこの映画の後に「A.I」という作品を作る筈だった。長い間準備をしていて、本当は「アイズ・ワイド・シャット」よりも先に映像化する筈だった。実際、私もそういう風にニュースで聞いていた。あの「2001年」以来の本格的SF映画としてキューブリック・ファンはその完成を熱望していたと思う。その後、色々な事情があって「アイズ……」の後に映像化という予定になった。しかし「アイズ……」を完成させた直後、キューブリックは死んだ。就寝中の心臓発作だったそうだ。
 
このニュースはキューブリックの大ファンであった私に衝撃を与えた。と同時に残酷な真実に気づかされた。つまり、「人生は予定通りにはいかない」という事だ。
 
この事実は私を打ちのめした。何故なら、映画監督になろうとして業界に入ったにも関わらず、私はその時まだ映画を撮っていなかったからだ。テレビの世界である程度成功し、多少は名前も売れ、金まわりも映画会社にいた時よりは良くなった。しかし、これが目指していたゴールなのかと問われれば、そうではなかった。
そして、私は自分の映画を作ることに決めた。数年後出来上がったのが私の監督デビュー作である「キープ・オン・ロッキン」である。
 
「人生は予定通りにはいかない」
いつか監督になろう。いつか自分の映画を作ろう。いつか恋人に打ち明けよう。いつか外国に行こう。いつか……。
人は沢山の「いつか」を抱えながら、代わりばえのしない「今」を生きている。そして「いつか」が訪れる前に、突然、人生のエンドマークが訪れる事もあるのだ。
 
若松監督の死は、再び私にこの残酷な真実を思い出させた。
 
 

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