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2012年8月

2012年8月30日 (木)

マリリンとオリビエ

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『マリリン 7日間の恋』という映画を見た。
劇場で見たかったのだが、機会を失ってしまい、最近発売されたDVDでの鑑賞だった。

おもしろかった!

最近見た映画の中ではダントツに面白かった。というか、私の好みだった。

イギリスの名優ローレンス・オリビエが「王子と踊り子」という自分が出ていた舞台を自ら監督して映画化するにあたって、相手役としてハリウッドからマリリン・モンローを招く。マリリンは当時、劇作家のアーサー・ミラーと結婚したばかり。幸せいっぱいに見えるが、インテリの劇作家の夫との仲は早くもぎくしゃくしている。

オリビエはシェイクスピア俳優として世界的に有名だ。当時のマリリンはセックスシンボルから演技派へ脱皮しようとしていた最中で、「メソッド演技」で有名なアクターズスタジオの代表リー・ストラスバーグの奥さんで演技コーチのポーラ・ストラスバーグを同伴している。

本読みの初日、自信タップリにセリフを読むオリビエに対して、マリリンは「役が理解出来ない」と訴える。その上、何かというと隣にいるポーラがマリリンに対してささやき声でアドバイスをする。まるでささやき女将だ。
「必要な事は台本に書いてあるじゃないか。セリフを言えばそれで良いんだ」というオリビエに、「セリフ以外のものを表現するのが演技です」とポーラも譲らない。

「まったく何がメソッドだ!」と怒り心頭のオリビエ。総じてメソッド以前の俳優はメソッドが嫌いだ。かの名優ヘンリー・フォンダもメソッドが大嫌いだったと、娘のジェーン・フォンダが「アクターズスタジオ・インタビュー」の中で告白していた。

演技コーチのポーラは撮影現場にも現れる。カットがかかる度に、マリリンはポーラの意見を求める。監督としては「勘弁してくれよ」という状態だ。
「お熱いのがお好き」の時も同じだった様で、以前読んだビリー・ワイルダーの本の中で、彼もマリリンの「演技コーチ」を嘆いていた。しかし、二人ともラッシュを見た時の反応は一緒だ。

「彼女は輝いている。 彼女ばかりを目で追ってしまう」

舞台では妻のビビアン・リーが演じていた踊り子の役をマリリンに依頼したのは、ビビアンがもう映画で同じ役をやるには年をとりすぎているからだそうだ。しかし、それ以上にオリビエはマリリンの力を借りて、もう一度スクリーンで輝きたいと思っていた。

「オリビエは映画スターになりたい偉大な役者で、あなたは偉大な役者になりたい映画スターだ」

というのは、現場についていたサード助監督がマリリンに言った言葉だ。
この映画は、そのサード助監督であった若い男の目線を通して描かれる。彼は裕福な家に育ち、親のコネを使って映画界にもぐり込む。そして、上手くいかない撮影現場と、破綻し始めた新婚生活の合間で、精神的に追い詰められていくマリリンの心のよりどころとなっていく。

邦題では「マリリン 7日間の恋」となっているが、「恋」といえるほど熱烈な情事が描かれるわけではない。かつて助監督であった私としては、こんなほのかな恋が私にもあったら良かったなあ、などと思ったりもするが、それ以上に、マリリンとオリビエの演技論の違いや、マリリンのラッシュを見る時のオリビエの視線に嫉妬するビビアン・リーなどの描写が、実にスリリングで面白かった。

配役も素晴らしく、マリリン・モンローをミシェル・ウィリアムス、ローレンス・オリビエをケネス・ブラナー、マリリンにつらく当たるオリビエに対してマリリンを庇うベテラン女優をジュディ・ディンチ、デートの約束をマリリンのせいでドタキャンされてしまう衣装係をエマ・ワトソンが演じている。

シナリオ、撮影、演出も素晴らしい。そして何よりも、とかく毒を持って描きがちな業界物が多いなか、すべての登場人物に対して愛情を持って、肯定的に描こうとしているのが心地よい。


この映画を見た後、ついでと言ってはなんだが、「紳士は金髪がお好き」を久しぶりに見る。正直、作品としてはあまり面白いとは思わないのだが、やはりマリリン・モンローは素晴らしい。彼女が出ているシーンは、彼女だけを見てしまうし、出ていないシーンは退屈だ。

マリリン・モンローはその早すぎる死にまつわる噂も含めて、女優としてよりも時代のアイコンとして語られる事が多い。生涯を通じて「傑作」と言える作品に出会ったとも思えない。
(ビリー・ワイルダーの「お熱いのがお好き」は傑作かもしれないが、あれはやはりジャック・レモンの映画だ)

そういう意味では女優としては決して恵まれなかった。しかし、ローレンス・オリビエの事を人々が忘れても、マリリン・モンローの名前と顔とそのパフォーマンスは多くの人が忘れないだろう。そして新しいファンも増やして行くだろう。

アメリカ映画史上最も有名な女優は誰かと言われたら、多くの人がマリリン・モンローと答えるに違いない。

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2012年8月14日 (火)

オリンピックと映画

ロンドンオリンピックが終わった。
始まる前はあまり興味を持っていなかったが、何だかんだ色々と見てしまった。

面白かった。
ついでと言ってはなんだが、オリンピックを題材にした映画を二本見た。
「栄光への賭け」と「炎のランナー」である。

「栄光への賭け」はマイケル・ウィナーの監督の1970年作品。今回、DVDで初めて見た。 ローマオリンピックを舞台に、世界各国からマラソンランナーが集まって来るという話で、イギリスの小説を原作にしている。

イギリス人の牛乳配達がジョギングしているランナーに競争で勝つシーンから始まり、イギリスの他にはアメリカ、チェコ、オーストラリアなど、世界各国のマラソンランナーのそれぞれのドラマが交互に描かれる。

アメリカのパートはドラッグ問題が絡んで来る。チェコは当時まだ社会主義国家だったので、国家の命を受けてレースに復帰する軍人が描かれる。オーストラリアのパートでは、白人とアボリジニの関係を描く。

それぞれの国の社会問題を描きつつ、クライマックスにまとめ上げていく脚本(エリック・シシーガルが書いている)はなかなか良くまとまっているが、演出はちょっと乱暴だ。演技も単調だし、当時はズームレンズが使われ始めた頃なのか、やたらとズーム効果を狙った画が多い。フィルムも粒子の荒さが目立つ。

「炎のランナー」は80年代の映画で、アカデミー賞も取った有名な作品だ。私も勿論、公開時に映画館で見た。今回、久しぶりにDVDで見直した。

1924年のパリオリンピックを舞台にして、イギリスの陸上チームの二人のランナーをメインに描いている。
エイブラハムというユダヤ人ランナーは、目に見えないユダヤ人差別に苦しんでいる。リデルというランナーは敬虔なクリスチャンで、宣教師でもある。二人は共に100mの選手であるが、予選が安息日に当たるというのでクリスチャンであるリデルは100mを棄権し、400mに出場する。結果、エイブラハムもリデルも金メダルを取る。

100mの選手が急に400mに競技を変更して勝てるもんかと疑問を感じたが、これは実話である。

「炎のランナー」は美術も撮影も素晴らしく、ヴァンゲリスが作曲したテーマ音楽もあまりに有名だ。今回、ロンドンオリンピックでもメダルの授賞式になるとこの曲が流れていて、イギリス人のこの映画に対する愛着を感じた。

「炎のランナー」は良くできた映画であるが、少し見方を変えるとイギリス人の自己満足的なノスタルジーに溢れた作品でもある。つまり「かつて英国は偉大であった」という想いだ。

「栄光への賭け」との大きな違いは、有色人種の選手が出てこないという点だ。
「炎のランナー」のエイブラハムはユダヤ人であり、彼に対する差別意識は描かれるが、彼自身もケンブリッジ大に所属していて、そういう意味ではエリートの一員でもある。
劇中の100mの決勝に登場する選手は、いずれの国も白人ばかりだ。薬物の話も、社会主義国家のプロパガンダの話も出てこない。古き良きオリンピックであり、今のオリンピックとはまるで違う。

「炎のランナー」の制作者たちは、あの失われた時代を愛おしく思っている様だ。

今では陸上競技の殆どを有色人種(主にアフリカ系)が占めている。ことさら人種の優劣を語るつもりはないが、「走る」という行為に関する限り、アフリカ系人種の優位は否定できないと思う。見ているとその体つきからしてまるで違う。

ちなみに今回、男子400mリレーの決勝を見ていたら、日本代表以外はすべて黒人であった。そして彼らの身体から感じられる迫力に比べ、日本人は随分と華奢に見えた。
その日本人が決勝に残っているのは、そう考えると大したもんである。残念ながら前回の様にはメダルを取る事は出来なかったけれど……。

「栄光への賭け」と「炎のランナー」
どちらの映画もそれなりに面白く見ることは出来たが、実際のオリンピックの競技の迫力とドラマ性にはかなわない。

そもそもスポーツというのは映画の題材に向いているようで、実はあまり向いていない。
例えばもし100mでオリンピックに出る選手の映画を作るとして、決勝の場面、あのボルトの走りに勝る迫力をフィクションで描き出すのは、殆ど不可能であろう。

 

 

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