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2012年6月

2012年6月23日 (土)

打ち切られたドラマ

ドラマ不毛の時代などと言われ、以前に比べ視聴率が取りづらくなっている。
今クールは二つの連続ドラマが打ち切りになったそうだ。
それを面白おかしく取り上げるメディアも多い。誰が責任者なのかを語る人もいる。しかし業界の片隅に身を置く立場としては、そう面白がってもいられない。

 
以前、私が脚本とプロデュースを担当していた連続ドラマが打ち切られそうになった事がある。
(打ち切りと言っても、日本のテレビドラマの場合、最初から回数は決まっているので、正確には短縮されたと言うべきか。アメリカなどの場合、回数を決めずにスタートする事が多い。結果、十年以上放送したドラマも多い)

「打ち切り」がやっかいなのは、それが噂されるとキャストやスタッフに動揺が走ると言うことだ。視聴率至上主義の世界では、「視聴率が悪い」という事に皆が妙に罪悪感を感じて、現場の空気が重くなるのだ。逆に「視聴率の高いドラマをやっていると偉い」みたいな雰囲気もあって、わざわざ別のスタッフルームまでやって来て「お前んところ打ち切りなんだって」などと余計な事を言う輩もいる。

さて件の私のドラマも当初は悪くない視聴率だったが、次第に下がって来ていよいよ打ち切りの話が取り沙汰されるようになったある日、制作部長がスタジオにやって来た。私たちに引導を渡すためだ。私は、対抗策をいくつか考えたが、こういった状況をひっくり返すことは前例を見ても殆ど不可能なので、最終的には「だったら最終回は書きません」と宣言しようと思っていた。
「打ち切られたなら、打ち切られたことを明確に視聴者に分かるようにしたい」と思ったのだ。
たいていの場合、脚本を変更して何とか丸く納める。しかしこれもまたアメリカの連続ドラマなどでは別で、ある日突然打ち切られてしまい、最終回がないという物があるのだ。
私としては、どうせならそっちの方がいいと思っていた。
 
しかし、当然の事ながら出来れば打ち切りは避けたい。もう最終回の直前の回まで本は出来ていたし、私としても思い入れの強い作品だったので、何とか最後まで書き切りたかった。そして思い出したのが、以前同じ局で放送していた「六羽のかもめ」というドラマだ。それは小さな劇団とテレビ局を舞台にした業界物で、倉本聡さんが脚本を手がけていた。その物語の中で、連続ドラマの視聴率が悪くて主役のベテラン女優を死んだ設定にして、人気アイドルに交代させるという話がある。その試写を見た時に、スポンサーの代表者がこんな事を言う。
「一体、これはなんなんですか? 私たちはこんなドラマのスポンサーになったつもりはない」
「いえ、でも、これは視聴率を上げるために」と言い訳する制作サイドにさらに言葉を続ける。
「あなたたちは、今このドラマを見ていない人の事ばかり考えている。しかし視聴率は低くてもこのドラマを見ている人は沢山いる。今、このドラマを見ている人をもっと大事にして下さい」
こんな真っ当な事を言うスポンサーがこの世にいるのかどうか私には判らない。だが、しかし、このドラマが倉本聡さんによって書かれ、テレビドラマとして放送されたのは事実だ。
私は引導を渡しに来た制作部長さんにこのドラマの話をした上で、
「かつてこんなに素晴らしいドラマを作った同じ局が、そんなに簡単に打ち切りを言い出していいんですか」と訴えた。
訴えながら自分でも驚くべき事が起きた。私は涙を流していた。子供の頃ならいざしらず、30過ぎたいい大人が他人の前で涙を流すなんて……とショックを受けたが、涙は止まらなかった。
私は自分で脚本を書いたこのドラマに対する思いの強さに、我ながら初めて気づいた。

私の涙が功を奏したのか、倉本先生の言葉に説得力があったのか、数日後「打ち切り」は撤回された。勿論、本当の理由はもっと別のところにある。テレビ局は一脚本家の感傷に動かされるほどヤワな組織ではない。しかし、私は私なりに精一杯戦った。その結果、最後までその物語を書き切る事が出来た。それに関しては満足している。


「他人の不幸は蜜の味」というのは本当だ。
連続ドラマに関する「打ち切り」の話題も、そんなテイストで語られる事が多い。しかし、どんなドラマでも必死になっている作り手はいる。そして、それを楽しみに見ている人も確実に存在しているのである。

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2012年6月 8日 (金)

「マイ・バレンタイン」と「マイ・リトル・タウン」

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最近買ったCDはポール・マッカートニーの新作「キス・オン・ザ・ポトム」とサイモンとガーファンクルのベスト。

ポールの新作は、彼がスタンダードナンバーを歌うという企画。噂によるともっと早くやりかったけどロッド・スチュアートが先に同じ趣旨のCDを出してしまったので、延期したそうだ。

ロッド・スチュアートの奴も買ったけど、今度のポールの方が私は好きだ。

スタンダードとは言え、あまり有名でない曲が多い。でも、皆、名曲。
ポールのボーカルスタイルも実に素直で、ジャズというかスタンダードの世界にどっぷりはまっていて、なおかつポール流で……なかなかこうはいかない。

オリジナルが二曲入っていて、それぞれエリック・クラプトンとスティービー・ワンダーがゲスト参加している。どちらも素敵だが、スティービー・ワンダーがハーモニカで参加している「オンリー・アワ・ハート」がお気に入りだ。

クラプトンがギターで参加している「マイ・バレンタイ」のPVはナタリー・ポートマンとジョニー・ディップが出ているという豪華版で、ポール自身が演出しているそうだ。

サイモンとガーファンクルのベストは、ポールの新作を買う時に目について、ついでに買ってしまった。彼らの音楽は久しぶりに聞く。勿論、名曲ばかりだ。

映画「卒業」を思い出したりもする。

彼らの新曲はないが、最後に作られた「マイ・リトル・タウン」が好きだ。

「死人と死にかけた人間しか、僕らのふるさとにはいない」というサビのフレーズは、今聞いても鮮烈だ。

こういう歌詞を書くのはセンスもいるが勇気も必要だ。

そしておそらくアメリカの地方都市の一面をするどく描いているのだろう。


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2012年6月 4日 (月)

「杉並演劇祭」ビデオ鑑賞会&反省会


今年の3月に参加した「杉並演劇祭」は、結果的にコンペで大賞受賞という夢は実現しなかったが、とても楽しいイベントであった。

先日、私の仕事場に俳優陣及び関係者が集まって、お疲れ会兼反省会兼ビデオ鑑賞会をやった。
本番当日に録画してもらったビデオを皆で見るというのがメインイベントであった。
19時頃に集まって、それぞれ食べ物を持ち込んだり、買い出しに行ったり。
20時過ぎ、ほぼ全員がそろったところでビデオスタート。

もっと笑いながらの鑑賞を予想していたが、皆、結構真剣に見入っている。
鑑賞後は、何だか少し空気が重い。
「いやあ、何だか落ち込んじゃったよ」という声も出る。
本当に反省してしまった様だ。

ま、正直、私も最初に見た時に、皆が必要以上に力が入っている事に気づいた。
普段ホームグラウンドにしているワニズホールと違い「座・高円寺」はかなり大きい。
そして当日は全体の尺を一時間に納めるという演劇祭の規定もあり、皆のセリフに力が入り過ぎていた様だ。

「気持ちよりも先に言葉が出てしまってる感じだね」と私が言うと、何人かが頷いていた。

芝居というのはそこが難しい。
結局の所、覚えたセリフを順番に言っているにすぎないのだか、そうとは見えない様に、つまり今その瞬間に思いついた言葉や動作が、そこに出現する様でなくてはいけない。
勿論、歌舞伎に代表される様に、作られた形の美しさ、つまり様式美を見せる芝居もある。
しかし、新劇以降のリアリズムをベースとした演技では、その瞬間のライブ感が重要なのだ。
そうでないと観客が、劇の中に入って来る事が出来ない。

勿論、それでもストーリーは伝わるし、ある種の感動も起きる。
しかし我を忘れるほど物語に引き込まれてしまう様な演技も、世の中にはあるという事を忘れてはいけない。

理想は高く掲げ、その上で今自分がいる場所を確認し、次の目標に向かって歩きだす。
そんな事の為には、有意義な「反省会」あった。

勿論、難しい話ばかりではなく、笑い話や皆の次の予定の話で、いろいろと盛り上がり、楽しい会食であった。

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