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2012年2月

2012年2月28日 (火)

ジョンとシンの物語

ジョンとヨーコの物語は有名だが、ジョンとシンの物語はそれほど知られてはいない。

シンとはシンシア・レノン。ジョン・レノンの最初の奥さんだ。

彼女が書いた『ジョン・レノンに恋して』という本を読んだ。

ジョン・レノンが死んだ後も、随分と長いあいだ沈黙を保っていたシンシアだが、この本ではジョン・レノンとの出会いから、ビートルズ結成、ハンブルグ時代、ビートルズデビュー、世界的な成功、オノ・ヨーコの登場、離婚、離婚後の生活、ジョンの死、全てが誠実な口調で語られている。

実に面白かった。

特にジョンとの出会いから、ビートルズデビューの辺りは、まるで良くできた青春ロックンロールストーリーを見ているようだ。

二人は美術学校の同級生として出会うのだが、当時のジョン・レノンは革ジャンにリーゼントという典型的なテディ・ボーイだった。

恋に落ちた二人はデートを重ねつつ、ジョンはロックスターになるという夢に向かって驀進する。

やがて苦労の末、ジョンは成功を手に入れる。

妊娠出産したシンシアは、自分の存在がジョンの邪魔にならないかと心配する。

マネージャーのブライアンも、シンシアの存在をファンから隠そうとする。

しかしビートルズの人気はあまりに凄まじく、シンシアの存在が世間にしれた後も、ファンが離れることはなかった。

すべてが順調に進んでいく様にみえたが……。

ジョンがドラッグにはまり、オノ・ヨーコが登場し、シンシアのストーリーは大きくカーブを描く。

 
 
ジョンがヨーコと公然と活動を始め、シンシアと離婚を考えていた時期、それまで家族の様に仲の良かったビートルズの関係者は、誰一人シンシアの前に現れなくなる。

ジョンの逆鱗に触れるを恐れた為だ。

そんな中、ポールだけがバラの花を一輪持って、シンシアを訪ねてくる。

シンシアを慰めるために。

どちらかというとポール派である私としては、このエピソードが好きだ。

シンシア曰く、ビートルズの関係者の中で、ジョンに面と向かって対抗出来るのは、ポールだけだったそうだ。

 

 

 
 
ビートルズの音楽は、今でも良く聞く。

と同時にビートルズの物語にも、何故か心ひかれる。

特にジョンとポールの物語は、実に面白い。

ポールは最近、新しいアルバムを出した。甘いスタンダードナンバーを唄うアルバムらしい。

ジョンだったら決して出さないタイプのアルバムだ。

でも、意外とジョンは気に入るかもしれない。

 

ジョンの新しい音楽が聞けないのは、やはり寂しい。

 

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2012年2月13日 (月)

ホイットニー・ヒューストン

ホイットニー・ヒューストンが死んだ。

別にファンという訳ではなかったが、彼女の歌声は何度も聞いた事がある。

「ボディガード」という映画はなかなか面白かった。

ケビン・コスナーとの共演で、

劇中、黒沢明の「用心棒」を映画館で見るシーンがあった。

もともと、スティーブ・マンクイーンをイメージして書かれた脚本らしく、

コスナーは「ブリット」のころのマックイーンに似た髪形で、

ハードボイルドに決めていた。

映画は大ヒットし、主題歌も大ヒットした。

「エンダ~、アイア~」という、木遣り歌みたいなフレーズが有名な唄だ。

アメリカで、歌手としても女優としても成功した数少ないエイターテイナーの一人だ。

そんな彼女がなぜ48歳で死ななければならないのか?

死因はまだ発表されていないが、薬物がらみだと推測されている。

ボビー・ブラウンと結婚してから薬物に溺れ、精神的にも不安定になったそうだ。

女は出会った男によって運命が変わる、という事か。

 

富も名声も全て手に入れたかに見える者が、幸せな一生を全うすることが出来ない。

マイケル・ジャクソンもそうだった。

 

「ボディ・ガード」という映画は、

愛してしまった自分のボディ・ガードと、

最終的には別々の人生を歩むというエンディングだ。

何でもハッピーエンディングにしたがるアメリカ映画にしてはスパイスが効いている。

しかし実際の人生はもっと残酷だ。

ハッピーエンディングもグッドエンディングもない。

老いに対する焦りと、誰にも避けられない死が待っている。

それでも人生は生きるに値するのか?

 

それこそが、全ての芸術やエンターテイメントに求められているテーマだと思う。

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2012年2月 2日 (木)

ライブハウスに飛び入り出演

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先日、麻田浩さんがプロデュースするライブに行って来た。

麻田さんは、昨年、私がグランプリを取った「おおいた夢色音楽祭」の審査員だった人だ。

東京に戻って来てから何度か連絡を取り合うようになって、この日も誘われていたのだ。

場所は横浜駅の近くにあるライブハウス。

「横浜かあ、遠いなあ」と思っていたら、渋谷から30分ほどで着いた。

早く着きすぎて、入り口でウロウロしていたら麻田さんが通りかかり、

「あ、そうだ。良かったら、サプライズで出演しない?」

と言われた。

「ギター持って来てないですよ」

「いいよ。誰かの借りるから」

という事で、急遽、飛び入り出演する事になった。

二組目のバンドの出演が終わった後、麻田さんから紹介があり、ステージに上がった。

歌うのは勿論「走れ、少女よ」である。

慣れない他人のギターで、少しやりづらかったけど、

(実際、肝心なところで空振り気味になってしまった)

なかなか楽しい体験だった。

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麻田さんプロデュースのバンドは、カントリーやプルーグラスの曲をやってました。

メインの福岡史朗バンドは、ユニークな歌詞の面白いバンドでした。

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