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2011年11月11日 (金)

ロマンポルノの頃

 新宿のスタジオアルタの斜向かいの線路の前には、以前、映画の看板が立ち並んでいた。 今は看板は撤去され、すっかり様変わりした。

 大学を卒業後、にっかつ撮影所で助監督をやっていた私は、いつか自分の作った映画の看板がここにかかるのを夢見ていた。それは、随分と後になって実現するのだが、助監督時代には、もっと強烈な忘れられない思い出が、この場所にはある。

 それはある映画の撮影の最中に起きた。

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 その日、スタジオアルタの壁面の温度計は三十六度を示していた。立ち並ぶ映画看板の前にワゴン車を停め、僕らはカーセックスのシーンを撮っていた。窓にはハーフミラーのフィルムが貼ってあるので、通行人は中を見る事は出来ない。

 

突然、女優が痙攣し始めた。顔色は真っ青で、カチカチと歯を震わせている。慌てて救急車を呼んで病院に運ぶ事になった。セカンド助監督だった僕は、一緒に救急車に乗り込んだ。

病院の救急治療室の前で待っていると、しばらくして中年の看護婦が現れ、怒った様な口調でこう言った。

「この人、服は何処にあるんですか?」

 

 

 

  僕らはかなり慌てていたので、裸だった彼女にガウンだけを着せて救急車に乗せてしまったのだ。ガウンを脱がせたらその下は裸である。看護婦が驚くのも無理はなかった

僕はしどろもどろに事情を説明し、喫茶店で待機しているサード助監督に電話し、早く服を持って来い、と叫んだ。

 

 数時間後、僕は彼女のアパートにいた。その日の撮影は中止になり、知らせを聞いたプロデューサーが慌てて駆けつけていた。

 彼女の症状は過換気症候群だと医者は説明した。極度の緊張などが引き起こす症状で、女性に多いという事だった。

 その映画は彼女のデビュー作で、しかも監督は女優を徹底的にしごく事で有名だった。主演の緊張感と厳しいスケジュールによる疲労が、彼女の発作を引き起こしたのだろうか。

「今日は親戚か友達か、どこか連絡の取れる所に泊まってくれないか」とプロデューサーは言った。彼女は貧乏な劇団の研究生で、部屋の電話は止められていたのだ。彼女は姉の家に泊まると言い、ある電話番号をメモして僕らに渡した。

 

 

  さて、二日後の朝、彼女は予定の時間に現れなかった。僕らは渡された番号に電話をした。しかし、そこは彼女の姉の部屋ではなかった。なんと、米軍の横田基地であった。

 彼女の恋人は米軍兵であった。彼は、その日を最後にフィリピンに派兵されていく予定になっていた。当時、フィリピンは政情不安定な時期だった。

 彼女は恋人と最後の日々を過ごすため、横田基地の中にある彼の部屋に泊まっていたのだ。そして、恋人と過ごすうちに色々と考え込んでしまったのだろうか、その日の朝に横田基地を出た後、彼女は撮影所に現れなかった。

 

 

 

 彼女は我々の前から姿を消した。つまり、失踪したのだ。

 

 

つづく。

 

 

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