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2011年10月18日 (火)

「おおいた夢色音楽祭」奮戦記

 

イントロのベース音が問題だった。

これが上手くいけば最後まで上手く演奏できる。何時もそうだった。

「おおいた夢色音楽祭」シンガーソングライター・コンテストの会場で、

そんな事を思いながら「走れ 少女よ」の演奏を始めた。

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今年の夏にネットで偶然見つけたこのコンテスト。

3月に作った自主製作盤のCDを送ったのも忘れそうになった頃、事務局から電話があった。

「もろさわさんの楽曲はコンテストの規定の6分をオーバーしてるので、短くできますか?」

それで予選を通過できるのなら、勿論、短くしますと答えてから、

間奏を削ったり構成を変えたりして、何とか6分バージョンを作った。

それから毎日ストップウォッチを片手に、練習をした。

そして迎えた本番当日。

何とか間違えずに最後まで演奏できますように……。

そう願いながら、最初のコードを弾いた。

思ったよりも快調な出だしだった。

ギターのミスよりも心配だったのは歌詞を間違えたり、飛ばしたりしないか、という事だった。

コンテストには私よりも楽器も唄も上手い人が沢山いるだろう。

そんな事は、この曲を作った時から分かっている。

この曲にとって重要なのは、歌詞を伝える事だ。

だから、歌詞を間違えるのは何としても避けたかった。

 

6分後、私は何とか無事に演奏を終えた。

13人の本選出場者の中で、私の演奏順は最初だった。

その後、残りの参加者12人の演奏を聴きながら、

会場となっている「若草公園」をぶらぶらしたり、他の参加者と雑談したりした。

そして数時間後、私は「グランプリ」の盾を手に、再びステージの上にいた。

何だか不思議な気分だった。

東京からの参加は私一人で、もっとも遠くから来た参加者だった。

年齢的にも最年長といってもいい。

嬉しかったが、妙に冷静でもあった。

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母の15歳の時の記憶をもとに、東京大空襲の唄を作ろうと思ったのは、

去年の1月頃だったと思う。

その年の3月9日に母も招いたライブで、初披露した。

このパーソナルな曲が、他の人にも通じる普遍性を持つのか、

私には分からなかった。

しかし、その後、この曲を気に入ってくれたライブハウスのオーナーと、

ミュージシャンの友人のお陰で、これは自主製作盤のCDとなった。

そして今、東京から遠く離れた九州は大分のコンテストで賞を取った。

これは素直に喜んで良いことだろう。

 

 

授賞式の後にもう一度「走れ 少女よ」を唄うと、コンテストは終幕となった。

ホテルに戻り一休みをしていると、急激に空腹を感じだ。

私は夜の街に繰り出した。しかし、もはやどの店もシャッターが下りている。

さて、どうしたものかと思っていると、偶然通りかかった実行委員の方に声をかけられた。

事情を話すと、「だったら、私の店に来れば? ライブハウスやっているんだよ」と言う。

私はお言葉に甘える事にした。

 

 

つづく。

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