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2011年8月

2011年8月29日 (月)

テレビVS映画

映画とテレビドラマってどう違うんですか、と聞かれる事がある。

この二つ、音と映像を使って物語を伝えるという点では良く似ているが、実はかなり違った性質を持っている。

 

テレビは部屋で見るが、映画は映画館で見る。テレビにはCMがあるが、映画にはない。テレビの画面は小さく、映画の画面は大きい。誰もが思いつく表面的な違いは、こんなところだろうか。作り手の間では、テレビは音(セリフ)が重要で、映画は映像が重要だと言われている。

 

 私が脚本の勉強を始めた頃、シナリオの教則本には、こう書かれていた。「クライマックスにはセリフが少ない方がいい。もし物語の最後まで来て、長いセリフが必要だとしたら、それまでにテーマを描ききれていないからだ」

 確かに名画といわれる作品のクライマックスは、短い印象的なセリフで締めくくられている。だらだらと喋る主人公は少ない。だから私もそういう脚本を書くように努力した。しかし、テレビの仕事をやるようになって、プロデューサーに言われた事は、クライマックスにセリフを増やしてくれ、という事だった。改めて、世間で面白いといわれているテレビドラマを見ると、確かにセリフが多い。クライマックスと言うのは、主人公が一番沢山セリフを喋るシーンだと言ってもいいくらいだ。

 

「私は映像という物を信用していない。さらに言えば、役者の芝居も信用していない。だから全てセリフに書いてしまう」と言ったのは、ドラマ界で有名な脚本家の一人だ。

 

 

一方、「映画はトーキーになりセリフを手に入れたが、それと引き換えに多くの物を失った」と言ったのは、映画監督スタンリー・キューブリックである。

 

 

 

 

この違いはどこから来るのだろう、と考えていて、ふと思い当たった。

映画は生まれたとき、サイレントであった。つまり音もセリフもなく、映像だけでストーリーを語るメディアであった。一方、テレビはラジオ放送から始まっている。テレビドラマより先に、ラジオドラマがあった。つまり、映像に音がついたのが映画であり、音に映像がついたのがテレビなのだ。

 

 

 

大学を卒業後、私が入社した映画会社は、その頃まだ沢山の映画を作っていた。やがて映画事業の業績が悪くなり、制作を打ち切るようになる。私も時を同じくしてテレビの仕事を始めるようになった。

俺はテレビはやらない。映画しかやりたくない。そう言って、頑としてテレビの仕事をやらない者もいた。あの頃、日本では、テレビドラマと映画の間には見えない壁があった。

最近は、「踊る大捜査線」に代表される様に、テレビでヒットした作品が映画化される事が多い。私も「ナースのお仕事」のテレビドラマをプロデュースし、後に映画化もしている。逆に映画で当たった物をテレビドラマにする事も盛んだ。

 

 

 

気がつくと、その年に最も多くの映画を作ったのはテレビ局だった、なんて時代になっている。

 

映画会社出身者としては複雑な思いもあるが、どんなメディアであれ、自分のオリジナルな作品を発表していくことが大事だと思っている。

 

 

 

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2011年8月28日 (日)

クロサワVSキューブリック

『映画ストーリーの領域と可能性はサイレント映画の構造から何かを借りる事によって、飛躍的に増すだろう……サイレント映画はトーキーよりもずっと多くのものを備えていたと思う』

キューブリック

 

『この作品(羅生門)の根本と言えば、要するに無声映画に帰ってみようと思った事ですね……トーキーになって失われた映画の美しさをもう一度見つけようという気持ちだった』

クロサワ

 

キューブリックもクロサワも何だか似た様な事を言っている。

ついでに言えばスピルバーグもアクターズスタジオ・インタビューに出た時に、

「演出が上手くいっているかどうかを判断するにはどうしたらいいですか」という学生の質問に、「テレビで映画を放送していたら、音を絞って観て下さい。それでも、その場面の意味や登場人物の感情が伝わってきたら、それはきちんと演出されているという事です」と答えている。

要するに、映画はサイレントが基本だと、この映画の巨匠たちは異口同音に言っている訳だ。

 

映画も生誕100年を過ぎ、星の数ほど製作され、映画監督も数えきれないほどいる。しかし、自分が心惹かれる映画には何か共通項がある。クロサワとキューブリックは、そんな映画を作ってくれた監督の代表的な二人だ。

彼らの作った映画は、批評家たちに失敗作と言われている物でさえ、見るに値する強力な魅力がある。

それは一言で言えば、映画的な映画だという事だ。

そして、彼らの映画を映画的にしている要素は何かというのが、私の長年のテーマだった。

ヒントは彼らの言葉に隠されていた。

つまり、映画の基本はサイレントだと言う事だ。

 

 

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2011年8月25日 (木)

バッハとヘンデル

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学生時代はベートーベンばかり聞いていた。

特に交響曲第五番「運命」が好きで、指揮者の違うのを5枚くらい持っていた。

最近は、バッハとヘンデルばかり聞いている。

編集中の映画の中で使いたいと思って、選曲のために聞いているのだが、

最近は普段もバロックを聞く事が多い。

 

バッハとヘンデルは同時期に活動していた作曲家だ。

以前、どこかで読んだ話だが、

この二人は晩年視力が衰え、同じ眼科医にかかっていてる。

しかもそれが藪医者で、彼の治療が原因で失明している。

ジョン・テイラーというのがその藪医者の名前だ。

彼は、二人の偉大なる作曲家を破滅させた事で歴史にその名を残した。

 

 

クラシックを映画に使うのは、スタンリー・キューブリック監督の得意とするところだった。

「現代の作曲家よりベートーベンやモーツアルトの方がいい。使わない理由が分からない」

などと証言していて、

「2001年宇宙の旅」の時には、既に発注していた劇版を使わずに、

全てクラッシク音楽に差し替えてしまい、作曲家と揉めたらしい。

似たような話は、黒沢明監督にもある。

 

久しぶりにDVDショップに行ったら、

そのキューブリック監督のブルーレイ・ボックスセットが出ていた。

DVDは沢山ありすぎるので、最近は買うのを控えていたのだが、

「バリー・リンドン」が入っているので思わず買ってしまった。

「バリー・リンドン」は全編クラシックで彩られた映画だ。

ヘンデル作曲の「サラバンド」が素晴らしい。

 

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2011年8月22日 (月)

ライブの告知です

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ライブの告知です。

先日も唄わせていただいた「なかの芸能小劇場」で、再び唄います。

今まで二回ほど唄わせていただきましたが、

その時は「走れ 少女よ」一曲のみを唄っただけでした。

今回は、主催者の高土信太郎さんの御好意もあり、

5曲以上のオリジナル曲を披露させていただきます。

「走れ 少女よ」は以前にもここで紹介させて頂きましたが、

1945年3月10日に起きた「東京大空襲」の時に、

実際に炎をの中を逃げ延びた私の母の記憶をもとに作った歌です。

他の曲も、現代や過去に実際に起きた事件や出来事をもとにして私が書いた歌です。

映画監督でもある私としては、これらのオリジナルソングを、

短編映画を作るような気持ちで、作っています。

お時間がありましたら、ぜひ、お越しいただけると嬉しいです。

 

 

日時:9月2日(金)午後1時30分開演

場所:なかの芸能小劇場

私の出番は15時くらいからです。

詳細は上のチラシをご覧ください。

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2011年8月19日 (金)

カワイイはコワイ

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日本はカワイイ文化の国だ。

何でもカワイイものに仕立ててしまう。

しかし、この道路工事用の簡易ガードレールはどうなんだろう。

こんなに可愛くする必要があるのか。

いや、それよりも、この商品、一体誰がどういう理由で企画したんだろう。

「これからの時代、工事用製品も可愛くなければいけません!」

などという商品プレゼン会議があったりしたのだろうか。

写真の奥の方に見える「ガードくん」というのも、どうなんだ。

別に「ガード」に「くん」を付けなくても……。

ま、関係者が幸せならそれでいいのですが。

 

 

以前、英会話を習っていた時に、外人教師が言っていた事を思い出す。

「カワイイ」って「コワイ」に似てるよね。

発音の話ですけどね。

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2011年8月16日 (火)

14日のライブ、無事に終わりました

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8月14日のライブ、無事に終わりました。

お越しいただいた皆さん、有難うございました。

新曲「世界の終りのラブソング」「ヒノマル」の二曲、披露できました。

かなりミスをしたけどね。

新曲の時は、いつも緊張してしまいます。

自分で書いた歌詞なのに、何故か出てこない事が多いんだよね。

 

写真はもっと以前のライブの様子。

このころに比べると、少しは良くなったと思うのだが。

 

それにしても暑い夜が続くね。

昼間が暑いのはともかく、熱帯夜はやはりしんどい。

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2011年8月13日 (土)

ライブの告知です

さて、突然ですが告知です。

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明日、14日(日)にライブに参加します。

場所はお馴染みの東高円寺カットウ。

スケジュールは以下の通り。

暇のある方は是非、いらして下さい。

新曲、やる予定です。

よろしく。

 

8/14
(sun)
18:10 7min OPENING 睦月
18:20 一希
18:50 Ariga
19:20 おぐまゆき
19:50 睦月
20:20 もろさわ和幸
20:50 Y
OPEN 18:00 START 1810 1000円+1D
 

http://www.kaztou.com/

 

  

 

 

ちなみに写真は私の愛用のギター、ラリビーです。

ギターは色々と試行錯誤したのですが、今のところラリビーで落ち着いています。

なんか弾きやすいんだよね。

 

 

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2011年8月11日 (木)

モントリオール国際映画祭 part3

 

 

 ディアフレンズ・イン・カナダ

 

さて、翌日はいよいよ舞台挨拶の日だ。スピーチの内容は大体決めていた。カルロビバリの時はメモを手に読み上げたが、今回は何も見ずスピーチするつもりだ。朝、シャワーを浴びながら声を出して練習する。上映は11時25分からだったので、11時前にルイと待ち合わせる、色々とあって出るのが少し遅れ、早足で「クオーター・ラテン」まで歩いて行く。しかしここでちょっとしたトラブルが起きた。映画館にたどりつくと既に「ディアフレンズ」が始まっていたのだ。

「どうします、映写を止めますか?」「あ、いや、でも……」戸惑っているうちに、映写が止まる。観客はざわめいている。映画館の係の人間が事情を説明する。そして、私は紹介されてスクリーンの前に立った。

「私は両沢和幸といいます。『ディアフレンズ』の監督です。日本から来ました。20時間以上のフライトで、未だにジェットラグに苦しんでいます。でもここに来られて嬉しいです。あなたたち、私にとって外国の人たちが、私の映画をどう思うのか知りたいので、上映後、もし良かったら感想を聞かせて下さい。それでは、私の映画を楽しんで下さい」

                           

 直訳すると以上の様な内容のスピーチをして、片隅の席に身をひそめた。観客の反応を知りたいからだ。しかし中々上映が始まらない。途中で映写を止めたので、フィルムを巻き戻すのに時間がかかっているのだ。

「う~ん、参ったなあ……これだったらもっと長く喋れば良かった」じりじりとしながら始まるのを待つ。約2分後、上映が始まった。英語字幕の入った「ディアフレンズ」のプリントを映画館で見るのは初めてだった。

 115分後。上映が終わり、場内が明るくなる。拍手が起きる。私は思わず立ち上がり、客席に向かって「有り難うございました!」と日本語で挨拶してしまった。

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「ディアフレンズ」は期間中合計4回上映された。私はそのうち3回の上映で挨拶をした。2度目と3度目は、最初よりも落ち着いてスピーチ出来たし、少し笑いも取った。そして毎回モントリオールの観客とともに映画を見て、上映後に素早く廊下に出ると、後から出てくる観客に向かって頭を下げ、礼を言った。沢山の観客が私に向かって感想を述べてくれた。親指を上げて「グッドフィルム」とだけ言う人もいたが、目を赤くしながら熱心に語ってくれる人もいた。

「とても良かった。感動して泣いちゃったわ」「この映画のメッセージは実に正しいし、若い人にこそ見せるべきだ」「私は英語が苦手で上手く表現できないけど、とても良かったわ。あなたは、次にはもっとビッグフィルムを撮るべきね」「凄く良かったけど、リナのストロングキャラクターは最後まで変わらない方が良かったな。最後にいい子になっちゃってるのがちょっと残念」「私には、ちょっとヘビー過ぎる。胸が痛くなっちゃった……」

 特に印象に残っているのは、4回目の上映後に会った中年の女性だ。目を真っ赤に泣きはらして僕の手を握った彼女は、「私にもコーマに陥ってそのままの友人がいるの、この映画を見てそのことを思い出しちゃって……」「アイム・ソーリー・トゥー・ヒヤ・ザット」その後もいろいろと言ってくれたけど、早口で涙声なので何だかよく判らなかった。でもその旦那さんらしき人が、次に私の手をすごく強い力で握って、「ベリータッチン・フィルム。ユア・グッド・ディレクター」と言ったのを聞いて、こっちの胸も熱くなった。その後もロビーでその二人が泣きながら抱き合っているのを目撃し、さらにトイレに行って出てきたら再び出会って握手されて、でも、まだ真っ赤な目をしていて、何だか私が泣かせたみたいで、申し訳ない様な複雑な気持ちになってしまった。

 とにかく上映は大成功だった。時間帯はそれほど良くなかったので満席という訳には行かなかったし、正直、廊下で観客が出てくるのを待っているのは、ちょっとばかり勇気が必要だったが、(他にそんな事をやっている人もいなかったし)、モントリオールの人たちの生の感想を聞けたのは本当に貴重な体験で、ここまで来た甲斐があったというものだ。

「ディアフレンズ」という映画を作った事に対する、自分なりの一つの決着がついた、そんな感じがした事も確かだ。

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 ジャパニーズ・ビジネスマン&フレンチ・フォトグラファー

 

4回の上映のうちで舞台挨拶をしなかった日、私は日本人二人と昼食を食べていた。行きのトランジットの時にJFKで5時間も待たされた私は、誰かにフライト時間を確認しようと思い、辺りを見回した。すると若い日本人らしき女性が一人で立っている。何となく旅慣れた感じ。で、声をかけフライトを確認すると、私と同じ便だった。しかも、モントリオールにちょうど同じ期間滞在する予定。それじゃ時間があったらランチでもと思い、彼女の連絡先を聞いておいたのだ。

 初日の舞台挨拶が終わり、ホッと一息をついた私は彼女と連絡を取ってみた。私が映画祭に参加している事は言ってあったので、彼女は映画好きな同僚の男性を連れて来るとの事だった。

 さて、どこでランチを食べるべきか……。こっちから誘った手前、こっちがセッティングするべきだと思い、ガイドブックを開いた。しかし彼女が滞在しているホテルの近くには、良い店が見当たらない。クロードと食べたギリシャ料理店は、かなり遠い。さて困ったな。とにかくホテルの近くまで行ってみようと思い。約束の時間より早く相手のホテルの近くへ行き、観光も兼ねて散策した。私が泊まっていたハイアットの周りは観光地、歓楽街という感じだったが、彼女が泊まっているホテルの近くはビジネス街という感じでファストフード店が多い。レストランもあるが、何処に入ったらいいか手がかりがない。さてどうしたものかと、ノートルダム大聖堂の前のダルム広場でボーッと座っていると、路を挟んだビルの屋上にテラスが見えた。私はさっそくそのビルの一階にあるフレンチレストランに行き、屋上でランチを食べる事は出来るのかと聞いた。「ウィ、ムシュー」と笑顔の答え。「よし、天気もいいし、今日のランチはここだ!」とリザーブをして待ち合わせの場所へ向かった。

 彼女たちは医療関係の会社に勤めていて、当地で開かれるレセプションパーティーの為に、ここモントリオールに来ていたのだ。世界を股にかけるビジネスマンって感じ。私は、映画界とはまるで違った世界に生きる二人との会話を楽しんだ。これも海外一人旅の楽しさか。

 ランチの後、一旦、映画祭の事務局に戻った。まだその日の「ディアフレンズ」の上映には間に合ったが、ビアを二杯飲んで顔が赤かったし、その日の舞台挨拶はやめて他の人の映画を見る事にした。日本には輸入されないであろう見知らぬ映画を見る事も、国際映画祭の楽しみの一つだ。例のごとくフリーのエスプレッソを飲みながらプログラムを捲っていると、隣の席の外国人が何だか私を見ている。目を向けると、「アユ・コリアン?」と聞いて来た。「アイム・ジャパニーズ」と答えると、彼は私のテーブルに移って来た。彼の名前はミシェル。色々な映画祭を取材しているフォトグラファーで、もらった名刺には自分で撮ったセレブ達の写真が印刷してある。私がもらった物にはコン・リーが写っていた。

 話はそれるが、映画祭の最中に声をかけられる時、「コリアン?」か「チャイニーズ?」と聞かれる事が多かった。彼らの方がカナダにいる人数が多いという事だろう。モントリオールにも中華街があったし、空港の表示には韓国語と中国語の訳はあったが、日本語はなかった。ちょっと寂しい。

 ミシェルは、私がディレクターで「ディアフレンズ」という映画を監督したと説明すると、さっそくプログラムを捲ってチェックした。まだその日の上映に間に会うと判ると、「じゃあ俺見て来るよ」と走って行ってしまった。素早い!

クロードの時みたいに再会の約束はしなかったので、感想を聞く事は出来ないだろうと、その時は思った。

  

 

 

ホテルの目の前にあるモントリオール現代美術館が、映画祭のメイン会場になっていて、その前にいわゆるレッドカーペットが敷かれている。今回、そこに登場するスターたちを観る機会はかったが、一度くらいはコンペの上映に立ち会おうと思い、ちょうど時間が間に合いそうなトルコ映画を見に行く事にした。メイン会場はさすがに広く、内装も豪華である。観客もほぼ満席で、トルコ人監督のスピーチがフレンチに訳された後、場内は暗くなり映画が始まった。内容はトルコの政治的な問題を扱っていて、暗く、重い。ある女性が捕まって拷問されるシーンで、目の前に座っていた老夫婦が二人、立ち上がって出て行った。

ここモントリオールの観客は高齢の人が多い事もあり、あまり刺激的なシーンになると退場する人がいる。私のディアフレンズでも、最初のクラブのシーンで立ち上がった人がいたし、最後のラブホテルでリナが号泣するシーンで出て行った人もいた。

映画はやはり途中で寝てしまった。まだジェットラグに苦しんでいる。会場を出るともう夜も遅い。その日はホテルの地下でメキシコ料理を一人で食べる。メキシコ人の言葉はさっぱり判らなかったが、料理は美味かった。

部屋に戻ると内線電話が点滅している。ボタンを押すと受話器からフランス語。「ドゥ・マサージュ」とか何とか言ってる。要するにメッセージが二件ありますって事か? どうやら映画祭のプレスルームからのメッセージで、明日会いたいとの事。なんだろう?

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 インタビュー、そしてダブルブッキング

 

 

 

「日加新聞の記者が、あなたに取材をしたいと言っています。コングラチュレーション」と言って、私の内線に伝言を残したプレスルームの女性(ジュリー)は私の手を握った。

前日、私が舞台挨拶をしなかった上映の時、一人の日本人女性が「ディアフレンズ」を見ていたのだ。日加新聞の記者で藤本さんという女性だ。

私は、藤本さんと連絡を取り、ホテルのロビーで取材を受けた。会話はもちろん日本語。彼女はモントリオールに長く住んでいて、カナダ在住の日本人向けの新聞で働いている。モントリオール映画祭に参加した日本映画の記事も、今までに沢山書いて来たらしい。

取材の最中に、事務局のルイが現れて私に別の女性を紹介した。スンさんと言って、中国から来たプロデューサー件バイヤーだった。彼女は私が日本人の監督だと知り、興味を持ったらしい。

「後でビジネスの話をしましょう」などと言ってたが、その時は、そのまま消えた。

日加新聞の取材が終わって藤本さんを出口まで見送ると、「はい、カズユキ! ミシェル、ミシェル」と声をかけて来る男あり。前日に私の映画を見に行くと言っていたミシェルである。

「お前の映画見たよ。凄く良かった。3回も泣いたよ」「あ、本当に見てくれたんだ!」

 それじゃって事で映画祭が主催しているフリービアのパーティー会場に移動して、二人で話をした。彼は重そうなショルダーバッグから自分が今まで撮った写真のサンプルを出して、私に見せてくれた。今度の映画祭で撮ったソフィーマルソーの写真もある。スクラップブックの中にタケシさんの記事があったので、「これもお前が撮ったのか?」と聞くと、「この時は他の女優の撮影が長引いて間に合わなかったんだ。残念だった」などと言ってる。

「それにしてもお前の映画は良かったよ。ストーリーはクラシックだが、撮り方はウルトラモダンだ。そこがいい。最初のストリートを追いかけて行くショットはどうやって撮ったんだ? あれはフィルムかHDか? 何でコンペに出さなかったんだ。コンペに出てる日本映画も見たけど、お前の映画の方がコンペ向きだ。お前の次のプロジェクトはなんだ? 俺もスクリプトは書いてるけど、ディレクターをやる自信がないだ……お前は良いディレクターだよ」

 彼はちょっと落ち着きのないキャラクターで、次から次へとよく喋る。しかし映画に対する批評は的確だった。クロードと同じで、映画のコンテンツとスタイルをきちんと認識している。「ストーリーはクラシックだが、取り方はモダンだ」というフレーズは特に気に入った。

 ひとしきり喋ると、「俺、ちょっと友達と約束があるけど、夜、また戻ってくるよ」と言ってまた行ってしまった。そして本当に夜に戻って来るのだが……。

その日は、夜の九時からコンペにかかっているフランス映画を一本見た。「一日」というタイトルで、先日のトルコ映画よりは親しみやすい内容だ。ある一家の一日を、時間を行きつ戻りつして、夫の視点、妻の視点、娘の視点で描いている。観客の受けも良かった。後で結果を聞いたら、監督賞を取っていた。

その後、ホテルに戻って来たらエレベーターホールで例の中国人のおばちゃんに再会した。「ちょうど良かった。ビジネスの話しましょう。30分後にバーでどう?」と言われた。

一度部屋に戻って、ちょっと休んでいたら、すぐに内線電話が鳴った。「おばちゃん、気が早いな」と思って出てみたら、ミシェルだった。「今、ロビーにいる」というので降りて行くと、かなり酔っぱらった様子でロビーのソファに座っていた。再び私の映画の話。

「お前の映画は本当に良かった。とにかくインティメイトで素晴らしい」

インティメイトってのは「深い」って意味か? 随分と気に入ってくれたみたいだ。しかし、こっちの話ばかりでも仕方ないので、「お前さんの書いてるスクリプトはどんなの?」と水を向けると、話し出したのはいいんだが、何とも取り止めのない話で、女が男を求めて旅にでるけど、途中から西部劇みたいになって、それで、そこから先はまだ出来てなくて……。う~ん、典型的な駄目な脚本のパターンだな、と思いつつも聞いていたら、「何だここにいたの? 待ってたのに」とオバチャンの声。それは例の中国人プロデューサーのスンさんだった。何だかダブルブッキング状態になってしまった。

困ったなと思いつつ、「先にバーに行って、待っててくれ」とスンさんに言ってミシェルの話の続きを聞いた。ミシェルの話はドンドン長くなり、しかも脱線して、取り止めもなくなっていった。「俺は40過ぎたが、経済的に独立しなくちゃならん。フォトグラファーじゃ大して稼げないし、ストックトレーダーになろうと思うんだ」など言い出して経済誌を引っ張りだして、私に見せたりする。「株で儲けたら、その後、スクリプトを書くんだ」う~ん、日本にもいるよなあ、こういう奴。

 いい加減、話の切れ目がないので仕方なく、ビジネスの話があるからもう行かなくちゃいけないんだ、と切り出した。すると彼は「お前のポートレイトが撮りたい」と言い出し、カメラを引っ張りだした。私はロビーでポーズを撮り、彼は何枚かシャッターを切った。

「これは現像したらお前の所に送るよ。それからお前の映画をショップで探して友人に見せるんだ」と言う。私の映画を彼がフランスで手に入れる事は出来そうにないので、私は思わず英語字幕つきの「ディアフレンズ」のDVDサンプルを彼に差し出した。何かの時に誰かに見せようと、日本でダビングして持って来ていたのだ。

「わお、こんな事をしてもらったら、僕は代わりに何をしたらいいんだ!」

「写真と一緒にレビューを書いて俺に送ってくれよ」

「お前に会えて、俺は本当に嬉しい。お前はとてもナチュラルな奴だ。だから僕は声をかけたんだ」

「俺もお前さんに会えて嬉しかったよ」

「ユア、ソウ、ナチュラル」

 ミシェルは私の手を握って、そう繰り返した。「ナチュラル」ってどういう意味だ? 自然体だって事だろうか? 何故彼がその言葉を選んだのか判らないが、とにかく悪い意味でないことは確かだ。私は嬉しかった。

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 その後、バーに行き、スンさんと話をした。彼女は中国のニューリッチって感じで、金のかかった身なりをしていた。

「私、日本ともビジネスしてるね。映画も配給したし、テレビドラマも準備してるし、今度サッカーのアニメもやるよ。今日の私の映画のスクリーニングは大成功。満員だったし、他の映画祭からも沢山声がかかった。今、こんな映画準備してるね。スクリプトは出来てて、ファイナンスしてるところ。あなたの次のプロジェクトは何? ホラー映画どう? 日本ではホラーはもう駄目だけど、中国ではまだ人気あるのよ。あなた合作しない? ホラーはだめ? コメディ? コメディは駄目よ。他の国じゃ当たらないから。志村けん、全然、笑えないね」

 とにかくパワフルな人で、この映画祭にも当然、自分の映画のセールスが目的で来ている。映画祭のチェアマンとは個人的にも親しいらしく、「今度の映画祭のポスター見た。東洋人の女の人が写ってるでしょ? あれチェアマンの愛人ね。あんまり美人じゃないよね。評判悪いのよ」などとまくし立てる。

こんな事ならミシェルともう少し話せば良かった。あ、しまった。一緒に写真撮るの忘れたよ……。私は、今別れたばかりのミシェルのことが気になって、彼女の話に身が入らなかった。本当はミシェルの事だけが原因ではなかった。ここ数日、純粋に映画論のような事ばかり話していたのに、急にビジネスの世界に引っ張り出されて、白けた気分になってしまったのだ。もちろん、これも映画祭の重要な一つの側面であるのは判っているのだが……。

 

 国際映画祭の経験はまだそれほど多くないが、私の思うところ、映画祭には三つの側面があると思う。一つはコンペティションを中心とした最も華やかな部分。レッドカーペットを歩く監督や女優、プレス・カンファレンスに授賞式、感激のスピーチなど、マスコミにもっとも取り上げられる部分だ。もう一つは、名もなき映画人と観客達の交流。短編も含めた小さな映画たち。その映画と共にやって来るまだ無名の監督やプロデューサー。そういった映画にも目を向けてくれる映画祭好きの観客たち。私の映画「ディアフレンズ」はこのカテゴリーだ。日本ではそれなりに大きな公開であったが、まだまだ無名な監督と無名な役者によるスモールムービーだ。

 そして最後にビジネスとしての側面。私は参加した事はないが、セールスの為のミーティングも沢山行われている。ある種の人たちにとっては、この部分こそが映画祭であったりする。

「これから私、上のカジノに行くね。あなたはカジノどう?」

「俺は賭け事は好きじゃないし、明日が早いから、部屋に戻るよ」

 そんな会話をしてスンさんとは別れた。次の日は5時45分にはホテルを出ないといけない。上手く寝られるといいのだが……。目覚ましを二つセットして、ベッドに入った。

 

 

 

 さらばモントリオール

 

 

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 翌日、朝5時30分頃にホテルのロビーで待っていると、ゴンザレスも降りて来た。彼も今日帰国するらしい。

「お前さん、ようやくジェットラグを克服したみたいだね」

 すっきりした私の顔を見て彼は言った。確かに、帰国の当日になってやっとジェットラグから解放されたようだ。まあ、こんなもんだよな。

「ところで、君の映画をDVDで見たよ」と私は彼に言った。

 実はゴンザレスのドキュメンタリー映画は、私が来た初日に公式上映が終わっていて、その後劇場で観る事が出来なかった。しかし彼は「ディアフレンズ」の二回目の上映の時にわざわざ駆けつけてくれて、上映後「凄く良かったよ」と力強い握手してくれた。私も彼の映画を見なくてはいけないと思った。そこで最初の日にクロードが私の映画を見ていたように、DVDレンタルのシステムを利用して、彼の映画を見る事にした。英語のタイトルは「OLD THIEVES(年老いた泥棒たち)」。中々優れたドキュメンターで、最後まで飽きる事なく見終えた。

貧しい家に生まれ育った少年たちが、生きるために盗みに手を出し、やがてスリーピースを着こなす洒落た大泥棒になる。しかしやがて社会や政権が代わり、裏切り者が出る。体制の手下になる奴、かつての仲間を拷問する奴、仲間の手で牢屋に入れられる奴……。メキシコの歴史を背景にしたすぐれた人間ドラマだ。これを元に「グッドフェローズ」の様な優れた犯罪映画を作る事も出来るだろう。中々やるじゃないか、ミスター・ゴンザレス。

 彼とは空港の入り口で一緒に写真を撮って、握手をして別れた。

 

 やがて機上の人となり、モントリオールの街が小さくなって行くのを窓越しに見ていた。

 そこには沢山の住宅やオフィスが立ち並び、人々が仕事をし、生活をしている。恐らく一生出会う事のない人たちだ。しかし、その中にほんの限られた人数だが、私が監督した映画を見た人がいる。目を真っ赤にして旦那さんと抱き合っていたあのご婦人も、この景色の中のどこかにいる筈だ。昏睡状態にあるという友人の側で、「ディアフレンズ」の事を再び思い出してくれるだろうか? 

そんな事を考えると不思議な気持ちになる。

 

ミスター・クロードは、私の他の作品も見てみたいと言ってくれたので、別れ際に前作「キープ・オン・ロッキン」の英語字幕つきのテープを渡して来た。そんな時のために用意して来たテープである。彼はレビューを書いて送ると言ってくれた。楽しみにしている。

 ミシェルは写真を送ってくれると言ってたが、株なんかやらずにスクリプトを書けと私は言いたい。日本に来た時は、俺の家に来いと言ってあげたが、それは本気だからね。

 二回目の上映の後に会ったカナダ人の日本アニメ好きの女の子シルビーからは、早速メールが来た。志留美という当て字が笑えた。

 スンさんは、東京国際映画祭で日本に来るので、その時また連絡すると言ってたが、合作の話、本気かね?

 ゴンザレスのメールアドレスは聞き忘れたが、きっといつかあんたの作る劇映画を観る機会があるだろう。二人とも好きな監督に上げていたケン・ローチの様に、ドキュメンターから劇映画に転向して成功した監督もいるわけだし。

 ルイやジュリーなど映画祭の人とは、直接、お別れが言えなかった。出発が早かったからね。でも、感謝してます。色々とお世話になりました。

 現地でランチを食べた日本人二人にも感謝してます。彼女たちは最後の上映の時に、わざわざ「ディアフレンズ」を見に来てくれたのだ。映画好きの彼の方は、上映後、目を真っ赤にして泣いていた。その後、映画の話もいろいろ出来たし、楽しかったよ。

 

 映画祭は読んで字のごとく『祭』だ。始まる前はわくわくするが、終わってみると何故か寂しい。楽しかった思い出は、まるで夏の日の花火がごとくである。

 しかし映画祭は映画人を勇気づけてくれる。映画作りという物が、苦労に値するものだという事を、改めて教えてくれる。そして、映画に国境はないという事を、理屈抜きに実感として教えてくれるのだ。

 さようなら、そしてありがとう、モントリオール国際映画祭。

 

 

 

 

 

 おわり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2011年8月10日 (水)

モントリオール国際映画祭 part2

 

 クロードとワイン、ゴンザレスとビア

 

 

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  翌日、ジェットラグのせいもあり早朝に目が覚める。朝食までは時間があるので、ホテルの近くを散歩する。朝食はバイキングスタイル。好きなものを取って食べる。パンとスクランブルエッグとソーセージとサラダ。典型的なホテルの朝食だ。食べ終えてまた時間を潰して10時過ぎに映画祭の事務局へ行く。「10頃、お会いしましょう」と映画祭のホストから手書きのレターが前日残されていたのだ。名前はルイ。男なのか女なのか? 私の映画の第一回スクリーニングは翌日なので、その打ち合わせをしなくてはいけない。

事務局には既に各国のプレスや関係者がガヤガヤと集まって、フリードリンクのエスプレッソを飲んだりしている。部屋の中にはコンペ作品のポスターなどが貼ってあり、いかにも映画祭って雰囲気。さてルイは何処にいるのかなと歩き回っていると、何処からか日本語の会話が聞こえて来る。「うん?」と耳を澄ますと、それは会話というよりセリフだ。しかも聞き覚えがある。なんと「ディアフレンズ」の劇中のセリフじゃないか! 一体、何故こんな所で!? 私は声のする方へ近寄って行った。

事務局の奥の部屋はDVDルームになっていて、スケジュールの都合などで劇場で観る事の出来なかった作品を、サンプルDVDを借りるという形で観る事が出来る。「ディアフレンズ」の声は、その部屋から聞こえて来た。そっと部屋を覗き込むと、一人の初老の男性が、液晶モニターに映る我等が主人公リナとマキそしてカナエの芝居を見ているではないか。しかもその男性はポケットからテッシュを出して、涙を拭っている。一体、この人は誰なんだ? 

   

 

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  その男性はどうやら最後まで「ディアフレンズ」を観る気らしい。私はエスプレッソを飲みながら、彼が見終わるのを待つ事にした。何で公式上映の前だというのに、わざわざ「ディアフレンズ」を見ているのか、聞かないわけにはいかなかった。

上映が終わり部屋を出た所を捕まえようとおもったが、男性は何やらメモを取り始めて、中々席を立とうとしない。しびれを切らした私は、近づいて後ろから声をかけた。

「キャナイトークトゥーユー? コーズ、ユーワーワッチン、マイフィルム」

 男性は僕を見て少し驚いた顔をしていたが、「ア、ユー、アディレクター?」と聞き返すので「イエス」と答えると、急に人懐こい笑顔とになり、ちょっと話しましょうという事になった。

 彼の名前はクロード、カナダ人の元大学教授で映画評論家でもあった。日本映画と日本文化が専門で、私の映画について批評を書くつもりだったらしい。「ユアムービーイズ、ベリータッチン。アイ、クライド」、感動的で泣いてしまいました。彼はそう言ったあと、「私これからちょっと用事ありますが、夜、時間がありますか? 良かったら街を案内します」と突然日本語で喋りだした。「日本語、お上手ですね?」というと、「以前に日本にいた事があります。中野に住んでました」とのこと。僕らは6時に再会する事にした。

 何て偶然なんだ! 映画祭参加初日に自分の作品を見ている日本語をしゃべる現地の映画評論家と出会うなんて。しかも彼がまさにその作品を見ている最中にだ! これは神の配剤か。などと大げさに考えてしまうくらい、ラッキーな出来事だった。

 

 ところが彼と話し込んでいる間にルイは姿を消してしまっていた。しかたない。約束の時間を既に一時間近く過ぎていた。12時に再び戻って来ます、というメッセージをデスクに残して、再び街に出た。

 ホテルの近くは開発途中の土地が多く、廃墟も多かった。グラフティアートがあちこちに見られて、それはそれで面白いが、何となく閑散とした雰囲気だ。それからここはフランス語が公用語なので、道路標識や看板は皆フランス語。フランス語が読めないと公共の表示は判らない。人々は英語も喋るが基本はフランス語だ。元々、フランスが最初に入植し、その後イギリスがフランスを追い出して、入植したという歴史がある。残った人たちはフランス文化に誇りを持っているので、ケベック州の独立が叫ばれた事もあった。

 

 12時になって事務局に戻る。ルイのデスクは再び空だったが、隣の人に聞くと「戻って来たので、その辺にいるよ」との事。再びフリーのエスプレッソ(これが美味い)を飲んで待つ事にするかと思っていたら、向こうから声をかけて来た。ルイは中国系の女性だった。フランス語、英語、中国語、と日本語を少し喋るが、私「オバサンね、オバサン」という彼女の日本語は他の言語に比べるとちょっと変だった。

 翌日の舞台挨拶の打ち合わせを軽くすませると、隣のテーブルにも日本から来た関係者がいて、ルイが紹介してくれた。名刺交換すると、「棚のすみ」という映画のチームだった。僕が「ディアフレンズ」の監督だというと、「あ、劇場で見ました。うちは本当に小さな自主製作映画ですから……」という。しかし向こうは主演女優とプロディーサー、監督、スポンサーのテレビ局の人など総勢5人もいる。こっちは一人だと言ったら、ちょっと驚いていた。

 事務的な用事は終わったので、クロードと会う6時まで映画を見ようと思い劇場へ向かった。どうせなら翌日舞台挨拶をする映画館がいいと思い、「クオーター・ラテン」と称されるシネマコンプレックスまで歩いて行った。そこはかなり大きなシネコンで、一つの建物の中に劇場が15くらい入っている。プログラムを調べるとちょうど、時間が合うのはソフィーマルソーが出ている映画だったので、内容も確かめずそれを観る事にした。ちなみに関係者の身分証明書を提示すると、どの映画もタダで見る事が出来る。

 映画はクリストファー・ランバートが主役でソフィーは二番手、と思ったらなんとソフィーマルソー監督作品だった。しかもこれが二作目らしい。監督しているとは知らなかった。

 最初は面白く観ていたが、やがて役者の顔のアップばかりなのにイライラし、さらにはジェットラグの影響で、爆睡。気がついたら拍手と共にエンドクレジットが流れていた。内容はさっぱり憶えていない。

 

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「フランス料理とイタリア料理とギリシャ料理、どれが食べたいですか?」

 6時にホテルの事務局に戻りクロードと再会すると、彼は私に聞いた。ギリシャ料理ってのは食べた事がなかったので、ギリシャ料理にしましょうと言うと、「ちょっと歩きますが大丈夫ですか?」と僕の体調を心配してくれる。「大丈夫、大丈夫」と二人は夕方の街へ出て行った。

 クロードの日本語は私の英語より上等だったので、会話は主に日本語、時々英語って感じになった。セントカトリーナ通りという路を歩きながら、彼はその辺りの町並みについて説明してくれた。彼曰く、聖なる物と俗なる物が混在していてとても面白い場所だそうだ。確かに覗き小屋やストリップ劇場の並びに立派な教会が立っている。

「ここは昔、日本で言えば吉原の様な場所だったのです。ストリートガールが立ち疲れると、この教会に入って休息を取ったんです。あなたも明日の挨拶の後、ここへ来て休むといいです」

 ある教会の中まで案内され、そんな事を言われた。

 しばらく行くと町並みの様子も変わり、カフェやブックストアが並ぶ文化的な雰囲気になっていた。近くに大学があるせいだろうか。

 件のギリシャ料理店は30分ほど歩いた所にあった。クロードは店の人とフランス語でやりとりを始めた。私はメニューも読めないし、ギリシャ料理も初めてなので、注文は彼に任せた。ワインのボトルを一つ取り、二人でグラスを傾けながら、映画の話を始めた。

「君の映画はとても良かった。私は君の映画を見て泣いたと言ったが、だから良い映画だと言うわけではない。時には悪い映画で泣いてしまう事もある。君の映画の良かった点はスタイルがあるという所だ。そして役者の芝居がリアルでナチュラルである所もいい。なぜ父親とうまくいっていないのか、なぜ母親はああなのか、説明しすぎない所もいい。ストーリーの進め方も、最初に自殺しようとしている女の子が出てきて、その理由が次第に判って来るところがいい」

「主役の北川景子はどうでした?」

「彼女は素晴らしい。日本の役者の多くは説明的な芝居をするが、彼女はとてもナチュラルだった。マキの役の子も良かった」

「有り難うございます」

「しかし好きになれない所もある。それは二度目の屋上のシーンだ。その前のホテルのシーンはとても素晴らしかったが、屋上のシーンは説明的だし、トゥーマッチでアーティフィシャル(人工的)だった。あのシーンは要らないんじゃないか? 何故あのシーンが必要だったのだね?」

「うーん、何故と言われてもなあ……言い訳したくないんですが、これはベストセラーの原作を元に作っているので、ストリーラインは変えられなかったんですよ」と私は言い訳をした。

 私は彼の批評の的確な事に驚いた。日本の映画評論で不満に思うのは、映画をストーリーやテーマでしか語らない人が多いという点だ。映画に限らず全ての芸術は同様だが、二つの重要な要素を持っている。それは中身と形式、テーマやストーリーとスタイルである。この二つは同じくらい重要なのだが、その点を指摘しながら批評してくれた人は彼以外ほとんどいない。

 それに二度目の屋上のシーンが「人工的」だと指摘されたのにもギクリとした。確かにあのシーンだけ演出のスタイルを変えている。それは観客を泣かせようと意図したからだ。「痛いところを疲れたな」と感心してしまった。

 ミスター・クロードが最初に日本映画に目覚めたのは溝口健二の「雨月物語」だそうだ。その後、小津安二郎や黒沢を見て映画以外の日本文化にも興味を持つ様になり、大学で日本文化の講義をする様になる。他には小林正樹が好きで、彼曰く小林正樹は一時期モントリオールでとても人気があったそうだ。映画祭に来る日本の映画人のアテンドをした事も多く、「このレストランには新藤兼人や伊藤俊介も連れて来た」そうだ。

  二人でワインを傾けつつ映画談義は続いた。

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 ほろ酔い加減でホテルに戻って来て、ロビーのソファに座っていると、空港からの送迎で一緒になったゴンザレスに会った。

「初日はどうだった?」と聞くと、「スクリーニングは上手く行ったよ」と言う。じゃあビールでも飲もうかって事になり、二人でテラスへ。互いの映画の話になった。ゴンザレスの映画は年老いたドロボウ達のドキュメンタリーで、彼はもともとカメラマンなので自分でカメラを回しているらしい。「劇映画は作らないの?」と聞くと、「興味はあるけど、金はかかるし、役者を使うのっていろいろやっかいだろ? ドキュメンタリーの方が自由でいいよ」と言う。確かに!

「最近の日本映画はどうなの?」「小屋は増えたし景気は悪くないけど、5館のうち4館でハリーポッターをやってるよ」「そりゃメキシコと同じだね」「日本映画は見る?」「キタノの『ドール』を見た」「彼は日本じゃコメディアンとして有名なんだよ」「ほんとに!? 信じられない!」

「どうやって監督になったの?」「最初はポルノの助監督もやったよ」「マジで?」「それで、その時にこんな事があってさ……」「ははは、アンビリーバブル!」

「好きなのはコッポラとかスコセッシとかペキンパーとか……」「俺と似た趣味だね」「アントニオーニもいいね」「皆、70年代だな」「確かに」「最近の映画は、誰が作者なのか誰も気にしてないよ」「80年代に何か悪い事が起きたのさ」

「俺はキューブリックが好きだった」「俺も大好きだ。よしキューブリックに乾杯」「乾杯!」「でも最後の作品は好きになれなかったな?」「それってトム・クルーズのせい?」「(笑)そうだ、トム・クルーズのせいだ!」「でもマグノリアの奴は良かったよ」「そうだね」

 こんなに純粋に映画の話をするのは、何だか久しぶりな感じだった。

 

 

つづく。

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2011年8月 9日 (火)

モントリオール国際映画祭

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数年前、映画祭に参加するためにカナダのモントリオールへ行った。

帰ってきてまとめた文章を地方のフリーペーパーに掲載した。

そのフリーペーパーも今は廃刊されてしまった。

その文章を転載してみた。

 

 

 JFKで騙される

「お前はアメリカンか?」と聞くので、「いやジャパニーズだ」と答えたら、いや、そうじゃなくて「アメリカン・エアラインか?」という意味だった。「おお、そうだ。イエス、アメリカン・エアライン」と答えると、「じゃあ表へ出てバスに乗ってターミナルナインまで行け」と指示され、言われた通り表に出て駐車場で待っていると、しばらくしてバスというよりはミニバンという感じの車がやって来て、黒人のドライバーが「アメリカン・エアライン?」と聞くので、再び「イエス」と答えて乗り込んだ。JFK空港でトランジットの時の出来事だ。

 

 しばらく走ってターミナルナインに着くと「××ドル」だと言う。「ええっ、金取るのかよ?」と思ったが、トランジットの時間が気になっていたので払おうと思ったけどカナダドルしか持っていない。「日本円でもオッケーだ」というので円で払って空港の中へ入った。トランジットのゲートにたどり着き冷静になってやっと気づいた。「あ、俺、騙されたな」

 

 

 JALからアメリカン・エアラインに乗り継ぐ時に、一旦バゲージを取ってトランジットのカウンターに持って行った。その時、「表に出てエアポートトレインでターミナルナインに行け」と係員に言われたのだ。そして表に出た途端に待っていたのがトランシーバーを片手に制服のような服を来た冒頭の黒人だった。彼は「バス」に乗ってターミナルナインへ行けと言った。「バス」と「トレイン」というちょっとした違いを頭の隅に感じながらも、急いでいたのでそのままバスに乗ってしまったのだ。案の定、後で調べたらエアポートトレインなら只でターミナルナインに行けたのだ。「ちくしょう!」と思ったが後の祭り。まあ、何事も経験だ。これも今回の一人旅の目的の一つだと割り切って、コネクティングフライトを待つことにした。

 

 

 私の監督した映画「ディアフレンズ」がモントリオール国際映画祭で上映される事になり、単身カナダはモントリオールに乗り込む事になった。こういうのは本来ならプロデューサーと一緒に行くもんだが、諸般の事情で行けなくなった。それじゃって事で、前作「キープ・オン・ロッキン」でチェコはカルロビバリに行った時のように、カメラマンの上野を誘ったが、彼も仕上げで忙しい。しかたなく一人で国際線に乗る事になった。

 

本来旅行って奴があまり好きじゃなく、海外に行った経験は今まで二回しかない。最初はニューヨークで、これはテレビ局の招待だったから、何もしなくてオッケーだった。二回目がカルロビバリ国際映画祭で、これは自主製作映画だったので、チケットの手配から映画祭のやり取りまで、全部自分でやった。この時の体験があるので、何とかなるとは思っていたが、一人で海外に行くのは初めてなので、多少の不安はあった。で、早速、JFKで騙されたと言うわけだ。

 

 

乗り継ぎ便を待っていると、どうやら霧のため出発が遅れているらしい。最初は一時間くらいだった遅れが二時間になり三時間になり、最終的には五時間も待たされる事になり、モントリオールの空港に着いた時はもう夜の十時を過ぎていた。ちゃんと迎えは来てくれるのかしらん、と思って到着ゲートを出ると、よくアメリカ映画で見かけるみたいにスケッチブックに「MR.KAZUYUKI MOROSAWA」と書いた紙を持った銀髪のおばちゃんが立っていた。良かった良かった。ちゃんと迎えに来ている。

 

同じ頃到着したゲストは全部で五人。映画祭が用意したミニバンに乗り込むと、自己紹介と握手の交換。この辺り外人はやはり人懐っこい。すぐ彼らは喋りだしたが、何を言ってるのかさっぱり判らない。どうやら、フランス語とスペイン語が飛び交っている様だ。「お前は英語か?」と隣の奴が聞くので、「そうだ」と答えると英語に切り返えてくれた。そいつはベルギーから来た監督で短編部門にエントリー、前に座った男はメキシコから来たドキュメンタリー映画の監督だった。彼らは二カ国語以上を流暢に話す。隣のベルギー人は英語、フランス語、スペイン語をしゃべる。「日本語はどうなんだよ?」と言ったら、「日本語を喋るのは日本人だけだよ」と笑われてしまった。確かにそうだ。大航海時代、イギリス、フランス、スペインは世界を航海し入植地を作った。その結果、彼らの言語は母国以外でも広範囲で使われている。その頃、日本は鎖国していた。この差は大きい。結果、今でも日本人は言葉で苦労しているわけだ。鎖国なんかしてる場合かよ、徳川幕府!

 

 

ホテルに着くとベルギー人たちは別の宿らしく「また会おうね」と言って別れた。メキシコ人のゴンザレスは同じホテルで、互いの映画祭での健闘を祈りつつ、別々の部屋に消えた。このミスター・ゴンザレスとはその後も何度か関わりを持つようになる。頭はすっかり禿げ上がっているが、多分私より年下だろうなと思っていたら、案の定、後で調べたら十歳下だった。

 

部屋に入って荷を解くと、もう夜の11時を過ぎている。日本を発ってから24時間以上過ぎた。さすがに疲れた。そして腹が減った。窓の外を見ると土曜日だというせいもあり、どこも真っ暗だ。仕方なくルームサービスを頼む事にした。フレンチクラッシクスにローカルビア。ローカルビアのブランドは?と聞かれたので、「お勧めは何?」と聞くと、×××のレッドビールがいいわよと受付の女の子が言うので、その通りに注文した。しばらくして、その同じ子らしき女の子がルームサービスを運んで来た。「あ、チップはどうたらいいんだっけ?」と思ったので、これって「チップは含まれてるの?」とダイレクトに聞いた。「ドンウォリー、ジャストサインイット」という答え。で安心してサインをした。

 

チップの問題は日本人が外国に行った時に一番悩ましい問題の一つだ。私もいろいろ事前に調べたけど、最近はホテルなどの場合あらかじめ含まれていることが多いので確認した方がいいと何かに書いてあったのを思い出したのだ。

 

フレンチクラッシクスは大変に美味かった。バゲットにハムとレタスを挟んだだけなんだが、とにかく美味かった。彼女お勧めのレッドビアも美味かった。思わず部屋の中で一人、「美味い!」と声を上げてしまったほどだ。

 

 

つづく。

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2011年8月 7日 (日)

中野で唄いました

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8月5日に、中野にある劇場で唄った。

写真は、そのイベントの企画者で司会を務めた高土信太郎さん。

高土さんとの付き合いも二十年近くなるが、

最近は彼の主催するイベントに出演することが多い。

この劇場のイベントも二回目だ。

モノマネ、マジック、演歌、講談、漫談、さまざまな芸人さんが登場する。

私はかなり場違いな感じだが、今回も「走れ、少女よ」を唄わせてもらった。

終演後、CDが三枚売れた。

単純に嬉しい。

 

下の写真はいか八郎さんとの2ショット。

いかさんは高土さんの古い知り合いで、長い経歴を持つ芸人さんだ。

最近、病気がちだという話を聞いていたので心配していたが、

この日は元気だった。

「医者のおかげだよ」と言って、彼は笑った。

 

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2011年8月 2日 (火)

屋上遊園地

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まだ、ディズニーランドのような大型の遊園地があまりないころ、

デパートの屋上こそが子供たちの夢の世界だった。

最近では屋上の遊戯施設は少なくなった。

この写真は、

新宿西口の京王デパートの上にあるペットショップに、

金魚のえさを買いに行った時に撮ったものだ。

まだ午前中だったせいもあり、子供の姿はなかった。

ピカチュウも退屈そうだ。

 

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隣にはビアガーデンが設置されている。

こっちは言わば大人の遊園地だ。

少子化のせいもあり、大人の遊び場は増えたが、子供の遊び場は減った。

 

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