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2011年6月

2011年6月27日 (月)

言問橋とスカイツリー

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東京大空襲の夜、多くの人は炎の中を、川に向かって走った。

橋を渡り、川の向こうへ逃げれば助かる。

多くの人が、そんな風に思ったのだ。

しかし、橋の向こうの人も同じ事を考えていた。

両岸から来た群衆は、橋の中央で衝突し、立ち往生した。

行き場を失った人たちの上に、さらに焼夷弾が降り注いだ。

欄干を飛び越え、川に逃げる人もいたが、

煙に巻かれて、多くの人が死んだ。

 

言問橋の橋脚の一部は、今でも焼夷弾の炎で煤けている。

 

私が言問橋を写真に収めようとしていると、女の人が私と並んで写真を撮り始めた。

「私も毎日、ここで撮るんですよ。今日、600メートルを越えたんですよね」

 

彼女が撮っていたのは、スカイツリーであった。

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2011年6月25日 (土)

人生の短さについて

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セネカの「人生の短さについて」を最初に読んだのは随分と前だ。

終末治療についての本を読んでいて、

その中で、ある患者の愛読書として紹介されていた。

私が読んだのは文庫版だが、

最近、大判で再出版されたりもして、この古典もいまだに需要があるようだ。

人生の長さは、その人の生き方次第だ。

まあ、簡単にまとめてしまえば、そんなことを言っている。

なるほどと感心する本の一つだ。

しかし、ローマ時代の哲学者の本が、何故、今の日本人の心を打つ?

人の悩みは変わらないという事か。

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2011年6月24日 (金)

坂の上の雲

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この写真は、今度の映画のロケハンのときに撮った写真だ。

このロケハンは一人で行った。

普通は制作部というスタッフが、あらかじめロケハンをして、

その後に監督が同行するのだが、

今回は低予算映画なので、なるべく自分ひとりで動くことにした。

 

写真を見て、どこの坂道かわかる人もいるだろう。

天気も良く、いいロケハンだった。

ちなみに本番のときも天気は良かった。

 

天気がいい日の坂道は、何故か気持ちいい。

坂の向こうには、何か素晴らしいものが待っている。

そんな気分にさせるのだ。

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2011年6月22日 (水)

カットウで葛藤する

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今住んでいるマンションのすぐ近くに、カットウという名のライブハウスがある。

ある日、ほろ酔い気分で入って、そこのオーナーと知り合いになった。

これは、その店内の写真。

 

以来、この店で、何度かライブに参加している。

参加者の多くは、私よりもはるかに若い。

ライブ終了後、そういう人たちとビールを飲みながら話をするのも楽しい。

色々と、風変わりな、興味深い人物とも出会った。

向こうも私のことを風変わりな人物と思っているかもしれない。

何せ50歳になろうという時期に、突然、ライブ活動を始めたのだから。

でも、今は正直、これが一番楽しい。

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映画館は変わった

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昔、映画を見るのはもっと気楽な行為だった。

いつ入ってもいいし、席も自由に選べた。

館内で煙草を吸っている人もいたし、酒を飲んでいる人もいた。

途中から入って、次の回の冒頭を見て、出て行ったりもした。

字幕に向かって「よっ、黒沢!」と叫ぶ人もいた。

 

今は、そんな光景はない。

 

館内は綺麗になり、スプリングが飛び出している椅子もなくなった。

心地よい空間に変身したのだが、

私が映画館に行く回数は、極端に減ってしまった。

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2011年6月19日 (日)

カルロビバリ国際映画祭

チェコに行ったのは、もう10年近く前だ。

「キープ・オン・ロッキン」という映画が、カルロビバリ国際映画祭に招待され、

プロデューサーとカメラマンの三人で出かけた。

初めての海外の映画祭で、何事も珍しく、楽しい体験だった。

全部で三回の上映があり、最初の上映前に英語でスピーチをした。

上映後、何人かの観客にサインを求められたうえ、感想を聞かせてもらえた。

映画祭というものの素晴らしさを初めて味わった。

映画祭のいいところは、とにかく映画が好きな連中が集まっているということだ。

商業的な観点ではなく、純粋に作品の価値を語ってくれる。

それが新鮮であり、嬉しかった。

以来、映画祭のファンになってしまった。

今度の映画でも、どこかの映画祭に参加できるといいのだけれど。

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2011年6月18日 (土)

新宿西口のLOVE

普段は新宿の西口にいることが多い。

日活撮影所で働いていたころは、調布に住んでいた。

フリーになって新宿の西口に引っ越したのは、窓から高層ビルが一望できる部屋見つかったからだ。

そこに12年間住んでいた。

今は東高円寺に住んでいるが、仕事場は西新宿にあるので、昼間はたいてい西新宿の高層ビル街にいる。

この辺りは、道幅が広いのと電柱がないせいか、散歩していても、気持ちいい。

もっとも、基本的にビジネスマンの街なので、私のようなフリーランスの人間は、

場違いに感じることもある。

一時期は、やたらと外国人の姿を見かけた。

それも、あの地震以来少なくなった気がする。

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2011年6月17日 (金)

二人芝居

去年、『二人芝居』というものを始めた。

そもそものきっかけは、新中野にあるワニズホールというライブハウスのオーナーと出会った事だ。

そのオーナーが始めた企画に、私も参加したという訳だ。

『両沢和幸アワー』と名づけれたその公演は、今までに5回を数えることとなった。

私にとっては初めての舞台である。

とても楽しく、刺激的なものだった。 

その後、映画の撮影に入り中断しているが、

仕上げ作業が終わったら、また再開したいと思っている。

その時は、また新しい俳優や、新しいお客さんと出会えるのを楽しみにしている。

以下は、その時のチラシの数々である。

 

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2011年6月16日 (木)

「走れ、少女よ」 東京大空襲の唄

トピカルソングというものがある。

トピック、つまり時事問題を題材にした歌のことだ。

ウディ・ガスリーやピート・シーガーや初期のボブ・ディランが、この手の歌を唄っていた。

私もそういう歌を作ってみたいと思い、作ったのが「走れ、少女よ」である。

去年、この歌を作ってライブで発表したところ、感銘を受けたと言ってくれた人がいて、その人たちのおかげで、CDとなった。

以下のサイトで発売中である。

興味のある方はぜひ、聞いてください。

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2011年6月13日 (月)

東京大空襲の日

大震災の前日、つまり3月10日に私はライブハウスで歌を唄っていました。

 

歌?

そうなのです。実は私は最近自作の歌を、ライブハウスで唄ったりしているのです。

現在住んでいるマンションのすぐそばに「カットウ」という名のライブハウスがあり、

そこのマスターと知り合いになったのがきっかけでした。

そこで私は月に一回くらい、自作の歌を唄っているのです。

自分で作った歌は今までに30曲ほどあります。

その中に東京大空襲を題材に唄ったものがあるのです。

なぜ、東京大空襲を唄の題材にしたかというと、実は私の母がその体験者だからです。

母は、当時15歳で、東京の下町に住んでいました。

その年の3月10日、日付が変わったばかりに深夜0時過ぎに、空襲は始まりました。

母は、燃え盛る炎の中を逃げのび、だから私がいるのです。

 

毎年、三月になると母にその話を聞かされていた私は、

いつかその話を何かの形にしたいと思っていました。

そして、去年、それを「走れ、少女よ」という唄として作ったのです。

 

3月10日は、そのお披露目の日でした。

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2011年6月10日 (金)

大震災の時

ケネディ大統領が死んだとき、何をしていましたか?

 

という質問は、ある世代のアメリカ人にとっては、誰もが語りたくなる質問だったそうだ。

最近の日本人にとって同じような意味を持つ質問は、「地震のとき、何をしてましたか?」であろう。

実際、あの大震災の後、出会う人ごとに、この質問をしたり、受けたりした。

 

私はロケハンの最中で、新宿の西口にいた。

ロケハンのために借りていた10人乗りのハイエースが一瞬、ジャンプした。

車を降りると、オフィスから逃げ出してきた人たちが皆、上のほうを見ていた。

見上げると、高層ビルが揺れている。

あんなに大きなビルが、あんなに大きく揺れるとは思わなかった。

 

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編集ソフト

今回、映画のオフライン編集をするためにエディウスという編集ソフトを買った。

はじめて使うソフトだが、一週間ほどマニュアルと格闘して、何とか使えるようになってきた。

EDLのやり取りも問題ないようだし、これで本格的に編集作業に入れそうだ。

しかし、編集という作業も、昔に比べると大きく様変わりした。

私が、日活に入社したころはまだフィルム編集の時代で、ノンリニア編集の影もなかった。

編集室は作業用のフィルムに溢れていて、

それを整理したり、誤って削除してしまったカット片を探すのが編集助手の仕事だった。

助監督だった私は、予告編を作るために出入りすることが多かった。

予告に使うカットを選ぶために、ムビオラと呼ばれる機材を使った。

フットスイッチで動かす、ミシンのような音がする機械だ。

原始的だが、直感的に作業出来、一度教えてもらえば、

マニュアルを読むなどということもなかった。

アビッドというノンリニア編集装置が出てきた時は衝撃的だった。

今ではこればかりで、映画学校でもフィルム編集を教えることはなくなったそうだ。

しかし、果たして編集自体がそれで進化したかというと、それは別の話だ。

黒沢映画の優れた編集を見ると、やはり機械は関係ないと、改めて思う。

結局、センスの問題なのだ。

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2011年6月 9日 (木)

ローマの休日

久しぶりに「ローマの休日」を見た。

 

最初に見たのは中学生の頃で、テレビの洋画劇場だった。

以来、事あるごとに見ている作品だ。

最初はただ単にオードリー・ヘップバーンの美しさと、ストーリーの面白さにひかれていただけだが、その後、映画製作の裏にあった赤狩り問題や、脚本家ダルトン・トランボの話などを知り、別の見方をするようにもなった。

トランボは当時売れっ子の脚本家だったが、赤狩りの犠牲となりハリウッドで仕事が出来なくなった。

しかし、腕のいい彼はペンネームで脚本を書き続け、二本の作品でアカデミー賞を受けている。

そのうちの一本がこの「ローマの休日」だ。

これはハリウッドでは公然の秘密であったが、トランボの死後、正式にアカデミー協会がこれを認め、デジタルリマスター版を出したときに、クレジットに彼の名前を追加した。

何とも素晴らしい話ではないか。

 

 

 

 

 

私がこの映画を久しぶりに見たのは、今、編集している映画の参考のため。

このころのハリウッド映画のように、シンプルな編集を心がけたいと思う。

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2011年6月 8日 (水)

政治家を選ぶ目

管直人さんの去就が取りざたされておりますが、

さて、どうなんでしょう?

本当にこのタイミングで首相をまた交代して、何かいいことがあるんでしょうか。

どうにも疑問だ。

アメリカではブッシュ大統領は無能だと言われつつも二期も大統領を務めた。

日本にも、そういう制度があったほうがいいんじゃないかね。

そうすれば、もっと真剣に政治家を選ぶ気持ちになる。

今の様にちょっと試してすぐにチェンジじゃ、政治家を見る目も養えない。

そんな気がするのだが。

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2011年6月 7日 (火)

再出発

ブログというものを一度始めたのだけど、挫折してしまった。

それで、今日から再出発です。

以前は力が入りすぎた感があるので、今度は気楽にいこうと思います。

お暇な方はつきあってやって下さい。

さて、私は4月の末から撮影に入っていた映画がクランクアップし、

今は仕上げの作業中です。

具体的にはオフライン編集を始めたところ。

今日、やっとロール1を取り込む事が出来ました。

いやあ、慣れない事をやると疲れるね。

つまり、自分で編集を始めたという事です。

理由はいろいろあるのだけれど、これを期にオフライン編集ソフトの

使い方をマスターしたいと思っております。

編集をしながらこのブログの更新もしてみたいと思っています。

果たして、どこまで続くやら。

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