2017年7月 8日 (土)

7月はライブの月です!

告知です。7月はライブの季節。今月は3回ライブに出ます。
7月9日(日)は三度目の参加となるウラワザストリートです。場所はJR浦和駅東口パルコ前の駅前広場。私は13時からの出演になります。ストリートライブなので勿論無料です。(鈴木周哉君は14時30分の出演だそうです)
 http://ameblo.jp/urawaza-radio/entry-12285167258.html
7月17日(月・祝日)には南浦和西口にある宮内家というライブハウスのオープンマイクに初参加します。13時オープン、13時30分演奏開始です。私が何番目に出るかは未定です。
お客様は1ドリンク以上のオーダーのみだそうです。
 http://www.geocities.jp/miyatin5963/access/index.html
7月29日(土)には東京は秋葉原の「秋田犬(あきたいぬ)」というライブハウスで行われるイベントに参加します。これは以前、新中野ワニズホールで「二人芝居」をやっている時からの知り合いで、「森の音楽隊」のピアノを弾いてもらったこともあるサトウシンジ君が主催するイベントで、私はゲスト参加です。
詳細は以下の通り。ちなみに私の出番は19時50分だそうです。
 
SEISHI-BANKS presents ミュージカル
『絶望世界と希望のマーヴェリク 』&ライブ
・チケット 2000円+1drink 
・日時 7月29日(日)開場18:30 開演19:00
・出演  SEISHI-BANKS 光未 もろさわ和幸
 http://www.akitainu-garage.com/map.htm
以上、ライブのご案内でした。お時間のある方は是非お越しください。お待ちしております。

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2017年1月13日 (金)

芸術は政治より生命が長い

メリル・ストリープは大好きな女優だが、「セシル・B・デミル賞」受賞時のスピーチは好きになれない。俳優やアーチストは基本的に政治的な発言はしない方がいいと思っている。正確に言えば、政治については語ってもいいが、政治家については語らない方がいいと思っている。なぜなら、多くの場合その発言は政治家に利用されてしまうからだ。そして、それは時にアーティスト活動に致命的な影響を与える。
ドナルド・トランプが障害を持ったレポーターの真似をした映像は確かに愚かだが、ヒラリー・クリントンがリビアのカダフィの死について語った映像はもっと醜悪だ。
https://www.youtube.com/watch?v=Fgcd1ghag5Y
彼女は自分でカダフィ殺害を指示し、その死を知ってテレビカメラの前で高笑いをしたのだ。カダフィは悪人だからいいじゃないかという人は、彼のアフリカでの功績を知った方がいい。アメリカにとって悪でも、あちらでは英雄であり名君であったのだ。
どちらにせよ人の死を高笑いする人物が尊敬に値するとは思えない。
要するにトランプもヒラリーもどちらも品性のない人物であり、今度のアメリカ大統領選はどっちがより下品かを争ったようなものだった。史上最低の大統領選と言われた所以である。

芸術は政治よりも生命の長いものだ。
「第三の男」のオースン・ウェルズのセリフではないが『ボルジア家の圧政のもと、ダビンチやミケランジェロが生まれた』が、ボルジア家が滅んだ後も彼らの芸術は愛され続けている。
ワグナーはナチスに利用されたが、今、彼の曲をヒトラーと結び付けて聞く人はいないだろう。しかし、レ二・リーフェンシュタールは優れた映画監督だったが、ヒトラーに近づきすぎたため、戦後二度と映画を撮れなかった。
勿論、アーチストも一市民なのだから政治に関心を持つのは当たり前だ。政治活動を行う権利もある。イーストウッドは共和党の党大会に出てオバマ大統領を批判したが、それは政治集会なのだからある意味当然だろう。しかし「セシル・B・デミル賞」の授賞式は場違いだと思う。そこで政治的なスピーチをするのは、世間の耳目が集まるその場を利用しているだけで、プロパガンダの匂いがする。スピーチ自体も民主党のスピーチライターが書いたのかと疑いたくなるような内容だ。あの素晴らしきメリル・ストリープが、こんな下世話な事に関わって欲しくないと言うのが正直な感想だ。
もし政権を批判したいのなら、チャップリンが『独裁者』を作った様に、ダルトン・トランボが『ローマの休日』に反赤狩りのメッセージを込めたように、作品で表してほしい。それが見事な作品なら、それはきっと為政者たちよりも長生きするだろう。

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2016年12月15日 (木)

おとなの映画

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『灼熱の魂』『裁かれるは善人のみ』『さざなみ』『愛情は深い海の如く』『虹蛇と眠る女』と立て続けに見た映画は、どれもあまり有名ではない。勿論、私にはそれぞれ見る理由があったのだが、どれも少しずつ自分の予想とは違う映画だった。共通しているのは「大人の映画」だということ。

「さざなみ」のシャーロット・ランプリングが特に良かった。彼女は若いころは「愛の嵐」などで有名だが、年を重ねてからも素晴らしい映画に出ている。フランソワ・オゾンの「まぼろし」「スイミングプール」は素晴らしかった。「さざなみ」の監督も若い。年下の監督が一緒に仕事したくなる魅力があるのだと思う。

私にとってそういう女優さんは吉行和子さんだ。2014年に公開した『御手洗薫の愛と死』は彼女とコラボした映画で、今のところ私の劇場用映画の最新作だ。ぜひ、見ていただきたい。

http://mitarai-movie.com/

また何か一緒にやれたらと思っているのだが。「大人の映画」を作るのは中々難しいのだ。

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2016年2月13日 (土)

覚醒するは我にあり

最近は「覚醒」が流行りのようだ。

「スターウォーズ」も覚醒だし、「エウァンゲリオン」も覚醒だった。「マトリックス」も確かそんな感じだった。

「ロッキー」は生卵を四つ飲んで早朝の街を走った。「巨人の星」の飛雄馬は大リーグボール養成ギブスを着けて通学していた。ヒーローになるには努力と訓練が必要だった。しかし今は違う。「覚醒」することが全てなのだ。そして「覚醒」したヒーローは「訓練」してきた奴よりも強かったりする。

平凡な人生を送っている者が、ある日突然「覚醒」して、ヒーローになる。そんなファンタジーを提供するのもエンタテインメントの役割の一つだ。だからそれはそれで構わないのだが、現実の世界ではそうもいかない。ジョージ・ルーカスだって、ある日突然「覚醒」して「スターウォーズ」を作った訳ではないだろう。

いやまてよ? 実は「覚醒」しただけなのだろうか? だとしたら「どうしたら面白い脚本を書けるんですか?」と聞いてきた人たちに、私が言ってきたことは間違っていたのかもしれない。「沢山本を読め」とか「良い脚本を模写しろ」とか「とにかく書いて人に読ませるんだ」とか言うべきじゃなかったのかもしれない。本当は、あの小さな緑色の老人の様に、こう言うべきだったのか?

「フォースを信じるのじゃ!」 

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2016年1月21日 (木)

ジェームス・ボンド映画

『007』の最新作を見たのだが、なんだか物足りないので、帰りがけにショーン・コネリー版のブルーレイボックスを買ってしまった。

ショーン・コネリーは初代ジェームス・ボンドで、私が最初に見たのは彼の作品だ。もっともそれはテレビの洋画劇場での事。劇場版はすでに二代目のロジャー・ムーアになっていた。そういう意味ではロジャー・ムーア世代なのだが、比べてみるとやはりショーン・コネリーは特別だ。

ジェームス・ボンドはイギリスのスパイで、世界を股にかけて活躍する。女と酒が好きで、いつもタキシードを着ている。いわば大人の童話、男のファンタジーだ。
見直してみると初期の三作品が面白い。今でも飽きることなく楽しめるのは『ゴールドフィンガー』、ボンドガールが美しくロマンチックなのが『ロシアより愛をこめて』、この二作品が私のお気に入りだ。
それ以降は制作費が大きくなったせいか、設定は派手になったが、話はいまいちだ。

初期のボンドは結構バイオレントな男で、女を殴ったり、盾にしたりもする。その上、一度ボンドに抱かれると敵の女でもメロメロになってしまう。まさしく男のファンタジー。
ちなみに『ルパン三世』はこの頃の『007』映画にかなり影響を受けているのが分かる。

今のボンド役は良い役者だが、ボンドというよりも敵の役の方が似合っている気がする。脚本と演出は妙に深刻になってしまい、初期の洒落っ気はあまり感じられない。兵器を開発するQはパソコンオタクみたいになってしまった。
事件もボンドの出自や犯人との個人的な恨みつらみが絡んだりして、何ともすっきりとしない。ボンドガールも大人の女というより少女みたいだ。
深刻なスパイ物はジョン・ル・カレに任せておけば良いと思うのだが、これが最近のトレンドなのか?

 

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2015年12月31日 (木)

小津と黒沢

小津安二郎と黒沢明の作品を集中して見た。   
「七人の侍」「東京物語」「生き物の記録」「秋刀魚の味」「続姿三四郎」「東京暮色」「蜘蛛巣城」「浮草」「乱」「彼岸花」などなど。    
この二人に溝口を加えれば、日本の三大映画監督となる。それは今でも変わらない。

 

学生時代は圧倒的に黒沢びいきだった。小津も溝口も見たが、その魅力をあまり理解出来なかった。今は小津も溝口も面白い。自分が年を取り、様々な経験を経たせいだろうか? 不思議なものだ。

 

小津安二郎は特殊な監督だ。その作品を一本でも見れば、その独自なスタイルに気付く。役者のセリフは棒読みに聞こえるし、カメラはほとんど動かない。イマジナリラインを無視したカットバック。いつも同じようなタイトルバック。取り上げる題材も、同じようなものばかりだ。

 

小津監督の「東京物語」が近年、イギリスの映画雑誌で史上第一位の映画に選ばれたそうだ。ちなみに第二位は「2001年宇宙の旅」で第三位が「市民ケーン」。   
何となく納得の三作品だ。何か共通したものを感じる。なんだろう?

 

「東京物語」は新しくデジタルリマスターされたブルーレイで見た。映像は新作のように美しく、音声も聞き取りやすい。不思議なことに物語もよく伝わってくる。何回も見た作品であるが、新鮮な驚きとともに見ることが出来た。   
今まで分からなかった、伝わらなかった監督の意図も見えてきたような気がする。

 

いつも感心するのは、その映像の切り取り方である。   
最近のヒット作の多くはカメラが動く。ステディカムなどが開発されてから、その傾向は加速している。小津作品はほとんどカメラが動かない。しかし、その構図やカメラを置く場所は、計算しつくされている。小津監督はもともとは撮影部だった。そしてサイレント映画でデビューしている。それが何か影響を与えているのか?

 

上記のベスト3に選ばれた三作品に共通するのは、映像のスタイルかもしれない。どの作品もしっかりと計算された映像があり、無意味にカメラが動くことがない。   
「モーション・ピクチャー」つまり「動く写真」という概念が、やはり「映画」の本質と深く絡んでいるのかもしれない。

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2015年11月26日 (木)

『2001年宇宙の旅』ライブ・シネマ・コンサート

『2001年宇宙の旅』をシンフォニーの生演奏と同時に鑑賞しようという企画、『2001年宇宙の旅』ライブ・シネマ・コンサートに行って来た。場所は渋谷のオーチャードホール。ロバート・ジーグラー指揮、日本フィルハーモニー交響楽団の演奏に東京混声合唱団が加わるという豪華なイベントだ。

いくつか誤算があったと思う。シンフォニーの演奏家は楽譜を見ないと演奏が出来ない。だから譜面台の上に小さな明りが灯っている。交響楽団となると、それは結構な数になり、結果としてスクリーンにそれが反射し、画面が見づらくなった。
音楽が始るタイミング、そして終わるタイミングは、指揮者によって見事にコントロールされていたが、それでもフィルム編集とは違う。タイミングが微妙にずれる事もある。

しかし、そういった事は、この企画では織り込み済みの筈である。それを忘れさせるのは当然、生演奏の迫力。そして久しぶりに大画面で見るキューブリックの映像美である。

キューブリックの映像は構図とライティングが素晴らしい。そして映画がモーションピクチャーである事を思い出させてくれる。
カッティングのペースは今日の映画と違いゆっくりと、そして堂々としている。それは一枚の映像の持つ力に対する自信でもある。
不必要にカットバックしたり、編集で誤魔化すことなどは決してない。
それは映画を信じ、映像を信じ、音楽と対峙する事によって新しい芸術を生み出せると信じていた、芸術家としての映画監督の誇りに裏打ちされているのだ。

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2015年10月27日 (火)

『美しき絵の崩壊』

アマゾンでDVDを買うようになって、今までなら絶対に買わなかったであろう作品を買うようになった。その中の一つが『美しき絵の崩壊』という作品。
ナオミ・ワッツとロビン・ライトが出ているというだけで買ったのだが、これが何とも不思議な作品であった。

二人は昔からの親友で、それぞれ結婚して息子をもうける。同世代の息子達は、すくすくと育って今や筋肉ムキムキのイケメン・サーファーである。
あるとき、ナオミ・ワッツの息子がロビン・ライトと関係を持ってしまう。お返しとばかりにナオミ・ワッツはロビン・ライトの息子と出来てしまう。

この奇妙なというか、都合の良い4人の関係こそが「美しき絵」なのだろうが、やがて息子たちに若い女が出来て、それは崩壊し、孫が出来たりする。しかし、4人は皆、その4人でいることを密かに望んでいて、最後には再び4人の関係に戻っていく。

何とも都合のいい話で、マザコンと近親相姦と若い愛人望がこれでもかと爆発し、自制心もそれこそ崩壊していき、妄想のままにエンディングを迎えるという何とも凄い作品なのだ。
それでも何となく見てしまったのは、役者達が美しく、演出も上品で文芸作品的だからだ。

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『オール・ザット・ジャズ』

『オール・ザット・ジャズ』を久しぶりに見た。

 

ミュージカルの演出家であり映画監督でもあったボブ・フォッシーの監督作品である。この人の作品では『レニー・ブルース』が大好きで、映画館で何度もみた。

 

『オール・ザット・ジャズ』は彼の自伝的な作品で、フォッシー本人をモデルにした主人公が、新作ミュージカルの制作準備と同時に、あきらかに『レニー・ブルース』だと分かる映画の編集をしている。

 

この手の伝記物にありがちだが、ショービジネスの厳しさと並行して、離婚した妻や子供、女たちとの情事、ドラッグにまみれた生活が描かれる。全体的にはドキュメンタリータッチの映像で、冒頭のオーディション風景はそれが上手く機能していて、実にすばらしい。ところどころに彼の幻想シーンが挟み込まれるが、これは明らかにフェリーニの影響を受けていて、自伝的という意味でも『8½』に似ている。

 

後に『8½』をミュージカルにした『ナイン』という舞台作品が出てきて、映画にもなっているのだが、結果的に『ナイン』と『オール・ザット・ジャズ』は良く似ている。 フェリーニ的なところは、やはりフェリーニの方が上手いと思うが、素晴らしいのはやはりボブ・フォッシーの振り付けである。映画の中盤に出てくる「エア・エロチカ」というナンバーの振り付けはまさしくフォッシーのタッチで、シンプルでセクシーでスタイリッシュ。圧巻である。

 

最後は自分の死を演出するという形になっていて、学生のころに見たときには、あまりピンとこなかったが、改めて見るといろんなことがよく分かる。

 

映画の編集が上手くいかなくて悩んでいるときに「キューブリックでも悩むことがあるのかな」と主人公がぼやくシーンがある。個人的には最も印象に残るセリフだった。 全体的に以前に見たよりも面白く感じたのは、自分が年をとったせいなのか?

 

 

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2015年10月22日 (木)

『浮草』

小津安二郎監督の作品は「東京物語」「早春」などの代表作は見ていたが、「浮草」は初めて見た。
他の小津作品とは少し趣が違った。
これは小津監督のホームグランド松竹ではなく、大映で作られた映画だ。そのせいか、配役もいつものお馴染みとは違い、京マチ子、若尾文子、中村鴈治郎、等が出ている。撮影も宮川一夫である。

この違いは作品全体に大きな影響を与えた気がする。
小津作品はサラリーマンが主役のことが多いのだが、これは旅芸人一座の話で、関西弁である事も含め、他の小津作品よりも親しみやすく、かなりエンターテインメントだ。

主役の三人がとてもいい。
京マチ子と中村鴈治郎が、大雨の中、路地を挟んで喧嘩するシーンが素晴らしい。
若尾文子が、京マチ子にそそのかされて川口浩を誘惑するところもいい。若尾文子がいきなりキスをするのは、日本映画としては異例な感じで、ドキッとする。
この三人の芝居以外に、映画全体に他の小津作品と違う何かを与えているのは、宮川一夫の撮影だろう。何が違うと言いづらいのだが、他の作品とは明らかに違う映像なのだ。
前述した雨のシーンは宮川氏の発案だそうだ。小津作品はローアングルで有名だが、この作品には1カットだけ俯瞰がある。旅芸人が町を練り歩く場面で、それも宮川氏の発案だそうだ。

小津監督は宮川カメラマンをとても気に入り、その後も何度か一緒に仕事をしようと試みたそうだが、五社協定に阻まれ、実現しなかったそうである。
実現していれば、もっと違ったタッチの小津作品が見られた気がする。

映画製作の不思議さを改めて感じた作品である。

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